見たとこ半信半疑・・・盛ってる ? 晴明塚の云われ

この地区の不動産価格の下落が止まらないことは先般発表された公示価格で承知していましたがその下落傾向は目を覆わんばかりの様。ここ5~6年約2~3%の下落が続いています。

地元情報通の方によれば相良ではメインストリートにあたる本通りあたりの土地で数年前では7万円/坪の声を聞くようになったと驚いていましたが、先般の取引、競売物件の落札価格で遂に5万円/坪、とのことです。

 

余りにもそれは話を「盛りすぎ」と耳を疑ったのですが、不動産にはそもそも「定価」というような正当な価格はありません。売りたい人が納得したらそれがその価格です。

 

問題はその価格での落札の実績が独り歩きして、周辺の価格の指標となってしまうことです。するとその「指標」を基準に買い手は値引きを要請、連鎖的に下落が続いて下げ止まりの兆候が見られないというところです。

 

それに「手放したい」人だらけで、まったくの買い手市場、需給関係はぶっ壊れています。今この地はホントに「売地」看板が目立つようになりましたが、みなさん「あんなとこ誰が買うか」と憎々しく言い放っている様子を耳目にしています。

 

その「あんなとこ」のラインとは・・・国道150号線より海側は論外、それは市街地の国道から本通りに挟まれたあたりのことでしょうか?

ということで「不動産」の字面と同様、売買の件「不動」のようです。

 

昨日スゴイニュース、と思ったのが東本願寺の残業代未払いの件と地元「さがら凧揚げ大会」中止の報。

 

まぁ本山のお仕事の範疇ですが、寺務仕事と奉仕の区分けが曖昧なことは事実。雇用契約もあったようですが一昔前の感覚で「ただ継続していた」といった状況でしょう。

問題としては、このようなカタチで大きく報道される前にもっとうまくやれなかったの・・・?というところです。

法令順守の意向を示してサクッと支払いが済んだことは良かったのですが、「タイムカードの導入」も検討というお話もありました。坊さんにタイムカード・・・? 業務としての雇用関係が発生したら社会の慣例に従わなくてはならないですね。

 

しかし考えてみれば私も寺の住職としては24時間対応可能でスタンバイしていますが、「残業代」など考えたこともありません。

また拙寺も奉仕やボランティアとして時に仕事を他者にお願いすることもありました。

そして給金を支払う人、支払わない人それぞれ曖昧に、適当に口約束で決めていましたが、これからはそのどちらかを事前にしっかり取り決めをしなくてはいけないような世の中になったということですね。

「ご奉仕ご寄進お布施」オンリーの考え方は「ダメでしょ」というところ。

 

「さがら凧揚げ大会」の中止について、これもスゴイ事になっている・・・と驚きひとしお。

観光協会のサイトを開けば、

「相良凧は、田沼意次が相良藩主として領していた江戸時代から相良独特の凧として知られています。

2015年5月5日より、「相良凧初節句神事」として、初節句を迎えるお子様のお祝いの式典を当協会が開催致しております。

小凧作りの無料体験も出来ます。(50枚限定先着順)」

 

とありましたが

※開催中止のお知らせ
本年は4月20日までの募集期間に応募される方が皆無でしたので、開催中止とさせていただきます。

と更新されていました。

 

私はわかりやすくてイイのかも知れませんがこの「皆無」という言葉が胸に刺さりましたね。同じ意味ではありますが「いらっしゃいませんでしたので」でOKかも。新企画も3年目にして頓挫とは可哀想すぎます。

ご担当の方々の失意が手に取るようにわかりますので。

 

「子供を外で見かけない」ことは時折拙ブログで記していますが「いよいよ」ここまできたかの感。特に男の子は外で遊ばなくなっていますね。

めげずに「来年はやるぞ」の気合はうかがえましたが、厳しい時代になりました。

 

さて、昨日は法事で午後より磐田方面へ。

150号線をひたすら浜松方面に進みますが、途中大須賀辺りであの看板が目に入りました。

以前どこかの夏に立ち寄ったことがある清明塚です。場所は高天神城から南、150号線沿いの土塁の如くある堤の中です(場所はこちら)。ということで季節感のない画像ですが。

⑥は塚から道路方向。土塁のようでもありますが、堤防ですね。

⑦は前方が御前崎方面。

 

まぁいろいろ経緯は記されていて、掛川市の指定文化財に指定されていることまではわかりますが、どうもその内容には疑問が残ります。「云われ」に出典などはあるワケがないのですが、一体どなたがそれを言いだしたのだろう・・・?とつい首を傾げた次第です。

 

「晴明塚」は全国にいろいろあるのですね。

なんたらかんたら・・・と霊験あらたかとそのご利益を記すものが大抵ですが、そもそも晴明(一条戻り橋の屋敷)ご本人が「こちらに来た」というのはちょいと盛りすぎ。

しかし絶対に作り話と断じてしまえばそれで仕舞です。

伝承といえどもある程度の真実も隠されていたり何かの負の言い伝えを示唆するものがあったりするのです。

 

それはたとえば・・・、だまし討ち、卑怯な戦法によって惨い殺し方をして財産を奪った者がいたとします。大金持ちとなって裕福な生活ができるようになりました。

ところが人は歳を重ねると特に「悔い」というものがどんどん積み重なってきます。

の「罪滅ぼし」のために塚を造って供養し伝えていくのです。そしてそれは負の自然現象の対策のために「大いに役に立っている」などと代々に渡って。

 

勿論「罪滅ぼし」の件は子や縁者には内緒にして自分の死とともにリセットします。そこに初めて美談のみが残るというワケですね。

要は最後の最後まで身勝手そのものの姿を思います。

これがまた真の人の姿です。私はこういう美談にはまず裏の裏というものを考えてしまいます。

 

そして特にこの話には「津波」について触れられています。

上記「こちら」の地図をみていただければおわかりになると思いますがかつてブログで記した横須賀城の姥懐( うばがふところ )や海戸橋、雑賀城(中村砦)のラインはずっと北にあたります。天正期の記述に寄れば横須賀城姥懐は舟溜まり場所、海戸橋、中村砦は殆ど海岸ばたにあって高天神に海上から兵糧を入れる基地でした。

 

ということから晴明のいた平安時代は「海の中」の筈。

まあその辺りは信じることはできませんが、作られた時代については不明ではあるものの、ひょっとしてこの辺りの津波を伴う地震―安政大地震―の際にはここまでは「何とかなった」のではと思います。このだいたいのラインが遠州灘と駿河湾というロケーションは異なりますが海岸からの距離としては拙寺と同等であって「何とかセーフ?」の芽を見たのでした。

 

しかし勝手な楽観なのでしょうね。

そうであったとしても「次」はまったくわかりませんし。

 

 

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コメント: 4
  • #1

    小山昭治 (木曜日, 27 4月 2017 08:57)

    昨日 氏子総代の会合でたこ揚げ神事の件を知りました。
    一つずつ消えていくようで寂しい限りです。
    どんど焼き(どんどん焼き)も子ども中心が大人中心になっています。
    そのうちに「保存会」になるかもしれません。
    花祭りにしても氏子にしても「多様性」の時代に理解をしてもらうのは
    なかなか大変です。
    自分の趣味にはお金を使っても お寺、お宮には異論を唱える人が
    多くなりました。
    幽霊、神様はいなくなってきました。
    仏像、ご神体を盗む人がいるのですから恐ろしい世の中です。
    「お天道様が見ている」死語になりつつあります。

  • #2

    今井一光 (木曜日, 27 4月 2017 09:30)

    ありがとうございます。
    仰る通りここ数年の環境激変の様は驚きを越して脅威にも感じます。
    「滅せぬもののあるべきか」の語を思い出しては開き直るばかりです。

  • #3

    野村幸一 (金曜日, 28 4月 2017 08:41)

    坪五万円!私には魅力ですが、先立つものが…気持ち的にはかつての敷地を買い戻したいです。

    原発が近いのが一番の原因なのでしょうね…。

  • #4

    今井一光 (金曜日, 28 4月 2017 23:06)

    ありがとうございます。
    そしてまた海抜10m以下というところかも。
    あの3.11画像を眼前にしたらこうなるのは致し方ないのかも。
    静岡の人たちは皆「次は私」であることの「確定的」を危惧してします。
    他人事に見ていないということとも言えます。
    実際は日本全国どこで起こっても不思議はないのですがね。