拙寺報恩講のおはなしは「公証人」  現実問題

「脱デフレはイリュージョン」。

イオンの社長が言い放った言葉は強烈なものでした。

先日も記しましたが流通大手2社が収益の悪化から「値下げ」にシフトするとの発表がありました。

そうせざるを得ない現場の切迫した実情があるのでしょうが日銀と政府の旗振りの下からの「離脱宣言」ですね。

 

脱デフレとは「インフレ目標2.0%」との大風呂敷のおはなしですが、最近はそんな数字は見もしないし聞きもしないくらい関係者の皆さんは沈黙しています。

よく考えるとそのためにおカネをじゃぶじゃぶにして(ゼロ金利政策)将来、国民福利厚生に使われる?と思っていた財源を湯水のようにいろいろと(特に株を上げるため)投入しているようですが、どのあたりで帳尻を合わせるのでしょうね。

 

しかし冒頭の「イリュージョン」発言は少なくともそれらお国の施策は「失敗だった」の断言でもありますので、それらを遂行するためにバクチで消えた?大層な額のおカネに対する責任は誰がとるのでしょうか、まったく不可解です。

まぁ、その疑問の正解としては「国民が責任を取る」ということになるのでしょうがね。

 

「大風呂敷」を広げる事はある意味「自分を追い込む」(背水の陣)ということでOKなことではありますが、それが「反故」にされることになれば言い出しっぺとしては「責任」というものが生じることは当たり前のこと。

何時頃白旗をあげて「ごめんなさい」の弁明がなされるのでしょうか。

付け加えますが上記以外の「大風呂敷」のことを「ハッタリ」「ペテン」と言います。あの世界は「インチキ」がまかり通っていますので往々にして後者の方の「風呂敷」が推測されます。

 

さて、「現実は厳しい」。

この語もよく耳にしますが、これは勿論私の身の回りの現実の厳しさを日々身をもって痛感させていただいています。

それはそれでこちらに置いておいて・・・

 

私が仕事がら法務を通して接する「現実」もなかなか「厳しい」ものがあります。

一言で言えばただひとつ「人だから」という理由で終わってしまうのですが、そうとは言え人が複数になればなるほどその「糸」(意図)たちは絡み合いますね。

 

分かりやすく申せば、最近は「死後離婚」などの語が闊歩していますが一人の人間がその「四苦」の内の最大の「思い通りにならない」ものの「死」という機会に遭遇したとき、周囲は強烈な変化を遂げることがままあるということ。

その状況(人の死)に頻繁にあう私めにあってはいろいろな「現実」とも遭遇することになります。

 

拙寺の法要の傾向は最近その四苦(生老病死)についてことさら強調してますが、ご一同の傾向としては「その現実(老病死)については十分理解しているが、たんたんと(「その時はその時」・・・)受け入れていくのみというものですね。

 

この「ただ受け入れる」という法は真宗的諦観であり推奨すべき立場ではありますが、私の勧めたい方向性というのはそのような仏法の拠り所は大切ですが「痴呆にならないよう、アルツハイマーにならないよう、今の状態を維持できるよう」健康長寿を皆で目指していただきたいというものです。

 

ということでその一番の解法である「歩く」(メカニズムは割愛・・・)を言い続けているのですが、なかなかそのあたりの件ご年配の方々に浸透できずに歯がゆさを味わっています。

 

歩けと言われても足が痛い、腰が痛いと反論まで出て来る始末。

当初は「仕方ないですねぇ」と返答はしていましたが、実はそれは私の言う事への反対意見の理屈にはなっていませんね。

「無理に」とは決して言っていませんし・・・。

「それ相応に表(外)に出なさい」ということですね。

 

要はその思考に至らないために「忘却」が進み足を中心に筋肉が固まって、ますます歩けなくなることは私の接した各「諸般事案」から判断、そしてわかり切っている事です。

結論は出ていると確信してその話をずっとしてきましたが、これだけは皆さん方、反応は薄いという感。

 

これも「仕方がないこと」かもしれませんが、ご一同「自身の痴呆と寝たきり」と「死」については棚の上に上げてしまって聞く耳を持たないという現状なのでした。

「関心はあるが自分には関係ない」ところなのでしょうね。

逃げて回れる話ではないのですがこれが現実です。

 

話戻ってその「糸」の現実の件。

なかなか詳細はこちらでは記すことはできませんが、はっきり言って時として「スゴイ」のです。

 

一人の人間の死によってそれまで伏せていた「何か」が出現しいわゆる「どろどろ」に絡み合って解きほぐしが困難になる状況は今、日本全国どちらでも日常的に起こっていること。

「死後離婚」に関しては殆どがご主人が死亡した場合の奥さんの「身の振り方」の事ですがこの法律行為はただ配偶者の戸籍から除籍の手続きをしてそれでお仕舞ですね。

配偶者が亡くなっていることで婚姻関係は自然消滅していますので・・・。ということでこちらの方は結構ラク。

 

武家世界で嫁入りした女性がその主人の戦没等によって先立たれれば齢にもよりますが「尼」(比丘尼)となって寺に入るか、若くて出産経験があれば当時は結構そういった「実績」(出産)のある女性は案外、引手数多で紹介やお声が掛けなどあって、どちらかの家に嫁入りしたものですが、今の嫁たちはただただ「自由」を求めているようです。

 

死後離婚は別にして特に問題なのは「相続」の件です。

人間関係というものはいろいろな個性をお持ちになった方々がいらっしゃるということで「なかなか難しい」ことは皆さまご承知のこととは思いますが、こちら絶対に一筋縄ではいかないというのは「他人様より親族縁者」というのが歴史の教えるところでもあります。

 

そうならないための「私の始末の仕方」について情報を得ようというのが今回の企画。

講師は人間関係の複雑さについて

「各例をあげて楽しく、面白く解説したい」と仰っています。

 

直近お寺関係のイベントとともに「HP」の方にアップしています。

 

報恩講本法要と寺楽市は11月11日土曜日の10時からです。

そのあとのおはなしのタイトルですが

 

 公証人のあれこれ 「私のあとの円滑」

           

         ~遺言のすすめ~

 

遺言(いごん・・・「業界」ではそう読みます)など記すとまた皆さん敬遠してしまうかも。

「縁起でもない」の声は「遺影を撮ろう」企画の際も聞こえてきました。

必ずやってくるとはいえ「私のその時」を笑い飛ばすくらいの余裕が欲しいものですね。

 

画像はナイスなお日和だった土曜日の午前の境内。

あの日の午前は温室と2階からハイビスカスとブーゲンを引っ張り降ろして境内に並べました。黄色のハイビスカスの後ろにミツバツツジのピンクの違和感が何ともいえません。

境内にはバラと八重桜が2本ずつ、雨があがればそろそろ八重桜が満開となるでしょう。

④はさつき。そろそろGWの声も聞こえてきます。

月並みですが「あっという間」ですね。

時を刻みその時間が迫っていることだけは確かです。

 

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コメント: 4
  • #1

    小山昭治 (火曜日, 18 4月 2017 09:00)

    先日は永田さんの四十九はご苦労様でした。
    永田さんを偲びおいしくお酒をいただきました。
    「まるに笹九枚」の家紋も改めて知りました。
    この先隣がどうなるのか想像が付きませんが
    できれば、おつきあいだけはしていきたいと思います。
    裏の畑のフキもだんだん大きくなりキャラブキにするのが楽しみです。
    最近でも「裕子さんはどうしてますか」などと聞かれると人徳があった人だと
    改めて感心します。

  • #2

    今井一光 (火曜日, 18 4月 2017 09:57)

    ありがとうございます。
    お斎の際は楽しく過ごすことができました。
    裕子さんは新米愚僧の私を寛大な心で受け入れてくださいました。
    最晩年は不義理をしてしまい、後悔すること多々あります。

    人の「(ヤル気)スイッチ」について自ら「オン」してくれることを子供らに
    期待してきたものですが
    裕子さんを見ていて人は自ら「オフ」することもあるのだと知りました。
    裕子さんらしいといえばそうですが、今「昭和一桁」世代を探すのがいよいよ
    難しくなってしまいました。

  • #3

    野村幸一 (金曜日, 21 4月 2017 00:57)

    永田裕子さん、皆さんに慕われていたのですね。自分も最期は惜しまれる存在になりたいものです。

  • #4

    今井一光 (金曜日, 21 4月 2017 01:12)

    ありがとうございます。
    勿論「わたしも・・・」と言いたいところですが・・・

    「他人の評価を気にする」のも何かとは・・・

    いや、しかしやはりそうなのです。
    その考えが自意識過剰と不協調独断の元ですね。
    昔は「他者の評価」こそが一番でした。それが客観であり世間ですね。

    私はせめて「世間様から後ろ指」を差されぬよう生きたいというところでしょう。
    既に「手柄をたてる」ことも「ひと花咲かせる」ことも無理ですからね。