「関わる」ために銭を払う 関銭  橋せん 通行料

ここへきて流通業界は食品の「値下げ」を模索しているようです。日銀のインフレ目標数値2.0%なる絵に描いた餅と政府の大号令をしり目に大手もその方向に舵をきるようです。

昨日イオンやセブン等、多品目に渡って10%の値下げの話題が報じられていました。

 

長期スタンスから「インフレ」脱却はそれはそれはお国の財政にとってはよろしいのでしょうが現実の庶民感覚―今、喰えるか―からすればまさに笑止。「高い品物を買え」の御触れは「笛吹けど踊らず」ですね。

収入が限定されているところ、同じものを購入するにあたって誰もが安い方を選択したいという方向はいたって自然なことですから

その傾向はそもそも背広を着た男衆の感覚ではなく昔から「主婦の知恵」と言ったものです。

 

おそらく大手の流通業がそういった傾向に戻らざるを得なかったのは新興の激安店が勃興してきたからでしょうね。

この地区にも薄利多売の大型店舗が目立つようになりました。

まごまごしていたら足元を掬われかねません。

ここはお国の意向にこだわっていることは死活問題につながるということでしょう。

そもそもモノの価格などは同じ品物なら「安い」に越したことはないからです。

 

①は安藤広重 中仙道六十九次「恵智川」の図。

この川に架かる橋名「むちんばし」が記されています。

「はし銭いらず」とも記されています。

 

これはいわゆる関銭(せきせん)の部類なのですが橋には通行料があるというのが常。現在であっても通行料のある橋を個々に挙げていればキリがないくらいですが、一昔前は「関」「関所」に準ずる場として通行料を設定していたのが「橋」ですね。

「関」は「向こうの世界とのかかわりを求める、求めたい」・・・「商いをしたい」という欲求がありますので足元を見られるワケですね。ということで商人の荷物には特に吹っかけてくるというのが慣例。

 

戦国期に、領国の繁栄を目するに、「商品の流れをスムーズにすること」が有効と気づいた為政者が施したのが「楽市楽座」でしたね。六角定頼の観音寺城下のものが最初としわれています。コレは単にモノと人の流れをよくすることだけではありません。

流れに支障となる「関」の通行料はそのまま商品の価格に反映されてきますので、「むちん」(無賃)であればその分安くなるということです。

モノの価格低下によって商品が売れれば税収が上がります。よって戦国後期より財政健全化といえば「関」という関門を擁しての搾取よりも品物の値段を安くして流れと消費を良くし結果税収をあげることが得策であると判断したのでした。

 

わが国では高速道路や橋の通行料を相変わらず徴収していますが、これらを全部タダにしたら・・・これは凄い流れが生まれることは絶対だと思います。

あいかわらず年度末になると意味不明(予算消費のため?)の工事をしている様子を見受けますが、もっと真面目に庶民レベルで事にあたらなければ「主婦の知恵」には追い付けませんね。

 

ただしこちらの「むちんばし」は地元の有力商人(近江商人)の太っ腹といいます。商人は社会に効率化を提供、これにより自分たちの商いと信頼をさらに得ることになり商いを伸ばしていったのは確かでしょう。

お国は近江商人の「三方よし」に学ぶべきです。

ちなみに今感ずるところは・・・「政治家よし、役人よし、大企業よし」の世界。

 

看板の文字の中に「衛知川」「恵智川」の文字が見えます。

「愛知川」という名への変遷は不詳(だいたいはこちら)ですが、「知恵が流れるように・・・」の意も・・・これは地名の発祥の源にも辿りつきそうです。

そもそも「音」の聞き書きですから色々なパターンがあるかも知れません。

 

④の黒いポストは武佐宿のものと同様。

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (水曜日, 12 4月 2017 09:18)

    買う人は安いところに流れる。その通りです。
    その結果廃業する店も出るのです。
    安ければいい、どこまでもその流れになるでしょう。
    それでいいのでしょうか。
    安ければいい、この精神は「欲」から来ているのでしょう。
    右肩上がりを求めるのと似ています。
    どこまでも安ければいい。安い労働力を求め貧困国で生産。
    どこまでも続きます。
    人間の「欲」とは怖いものです。
    いずれ 地球をむさぼり食べて壊すでしょう。
    それでも目の前の欲に駆られて生きていきます。
    時々 いやになります。

  • #2

    今井一光 (水曜日, 12 4月 2017 22:02)

    ありがとうございます。
    商品価値の浮沈を受け入れることは生業とはいえ直接生活に関わることですから
    厳しいことですね。
    人間というものは所詮
    貪欲 瞋恚 愚痴 の三毒を抱える身です。
    これらは人間の「苦」の根源でもありますが
    案外「苦」といえどもそれを気づかずにいる人間は多いものです。
    その態様は人として一番に「愚」であるといいます。

    人として生まれたからには三毒と付き合ってコントロールし時にそれを利し
    また開き直ってしたたかに生きていきたいものです。
    私はいつも「なるようになる なるようにしかならない」気持ちで、開き直っています。
    悪い言葉で言い換えれば「どうにでもなれ」と少しばかり投げやりですが。
    私の世界はもはや「右肩下がり」は決定的です。