技術よりも「動き」の伝承  ただしリスク多し

それにしても昨日記した「登山計画書」の件。

もう少し何とかならないでしょうか。

①入山時間②下山予定時間③予定コースは情報として不可欠な項目です。勿論そこのところ「理解」して各自空欄に記せばよろしいのでしょうが、入山口で「さあ行くぞ」と気もそぞろになっている時ですから「何かあった時用」の項目のみの記述で済ましてしまうこともありましょう。

フォーマットの変更もあってもいいのかと・・・

 

実は昨日の計画書を投函するポストの脇に着衣の画像を以てこの山で不明となった方の情報提供を期待するポスターが貼られていましたが、自分としてはただの「山城登山」のお気軽と思いつつも「すわ」という場面は何度かあるものです。独りきりの山歩きですから当然でしょう。

 

その瞬間ただ1回のミスで終われば何となく「南無阿弥陀仏」の御礼の言葉で済ますことができますが続け様のネガティブ要因と偶然が重なれば「致命的結末」は大いに想像できるというのが山・谷・尾根の自然界に身を投入した時です。

 

何度かの「ひやり はっと」はありましたが昨日の伊吹での経験としての教訓は・・・「張られているロープを信じるな」です。

谷に面した尾根筋には御親切に虎ロープ(安価)が張られていますがコレには確保の補助としてのものとルート案内レベルのものがあります。

 

そもそも虎ロープの触り心地はよくないのでまずそれを握ることはありませんがあの際はたまたま地面は雪でぬかるんで道も細かったためにそのロープをたよりにして進んでいました。

するとお約束の如く足を滑らして谷側に体重が掛かったためにロープを強く引いてしまいました。

それは100%そのロープに体重を預けるということになったのですがロープには緩みがあって「これは滑落」と一瞬思ったくらいでした。

 

ロープのその緩みは30㎝程度で事なきを得ましたが、30㎝の距離とはいえ谷側に体が吸い込まれようとする瞬間、このロープについて「ただの緩みであって欲しい」と一瞬間思ったものです。

もしかして切れていたり、遊んでいるロープであれば一貫の終わりですから。

 

山歩きをして一晩たった昨日。お方様よりいつもの「何してくれてんねん」のクレームが。

「蚤を1匹始末した」との主張です。

山に行って七転八倒したあとの衣類に着いた蚤を私が家に持ち込んだというものです。

なるほど山には色々な獣が「先ほどまで徘徊していた」という形跡はいくらでもありました。

 

通説、当家のネコどもに「蚤はいない」という中、それもかなり怪しいには怪しいところですが、責任を痛感しグーの音も出ないところでした。

それぞれに蚤除けの薬を投与しなくてはなりません。

あやつらはそれをお互いなめ合って不調に陥りますから厄介です。

 

弛んでいて用をなさない、「遊びのロープ」と同じように息子がボーッとしているのを見るのは親として腹が立つものです。

ということで境内2か所のソテツ剪定の次の仕事は本格的伐採作業を「ジャブ程度」にやってもらいました。

 

寺の仕事全般について何事もそれらを彼に伝達していかなくてはなりません。

私も谷底に堕ちる等の「現世おさらば」はありうる事で、いつ何時の「そのとき」に備えておかなくてはなりません。

ところがまだまだ伝達しきれていないことばかりと内心焦っているところです。

 

経験ということは何事も必要。

私は「とりあえず」やってみろと背中を押します。

いずれの事もやらなければやらないでそこで終わってしまいますが何か経験があれば対応の選択肢も広がるというものです。

 

特に「高所作業」の経験は「とりあえず」の至宝と私は考えます。また「命がけ」の日常は古くから人間の生命維持にとって不可欠なところで、ピリピリした緊迫感の中での冷静な判断を培うにはもってこいの材料だと思っています。

 

「奥の墓道氏」は「バカは高いところ・・・の遺伝子」と嗤いますが、あの作業の遂行は頭の回転に一連の動作は勿論、注意力や周囲配慮の鍛錬と集中力の醸成に意義があると主張しました。

 

リスクの大多数を背負いながらすべてに安全に目的を達成させることとその意義について「とりあえず」体と頭で経験してもらう、と偉そうに私が語れば「なるほど」と納得してもらいました。

 

画像は10日ほど前に枯れた槙の上部に張り出ていつ落下するかわからない枝を息子に払ってもらった図です。

最後くらいは師匠が切る見本を見たい」とお方様が仰るので気分よく私が締めを飾ることになりました。

 

そういう変な余裕と高慢ちきな語りはイケませんね。

これまでの仕事の配役が代わって連携がうまくいきませんでした。色々な反省点がありました。

伐った幹に巻いたロープの許をお方様がダブルで確保してなかったようで結局は重さに耐えられずロープを放してしまったのでした。

 

そのことにより2基の墓石を欠けさせて一家で顔面蒼白。

最近ようやくその2家に連絡がつき「ごめんなさい」をしたところです。

その善処対応については「適当にお任せする」と両家とも仰っていただきましたが両墓石とも角が欠けてしまっていますので石屋さんにまかせるといってもコーナーを削るだけの工数で完全に元には戻りません。

私としては「(ダメでしたら)石全体を交換します」とまで伝えています。

ちなみに全部交換したら卸値で「70万程度」の見積りを戴いています。

 

「失敗」するところまで愚息に見せつけるなど何と気の利いた親でしょう。

仏さんに当ててしまったことは気の毒なことだが、「生身の人間だったらどうする・・・」というところです。

何時の齢になっても日々勉強させていただいています。

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (金曜日, 31 3月 2017 09:38)

    山のロープは、まず引っ張ってみる。
    しっかりとした物か確かめてみるために引っ張って確かめます。
    それから掴みます。
    登山届けは静岡県よりも山梨県の方が書きやすいですね。
    ネットでも受け付けてくれます。
    前に日でもOKです。
    いつだったか山梨の山へ行ったら駐車場にパトカーがいて
    登山届けを出すよう指導をしていましたが「ネットで出しました」の
    一言でOKでした。

  • #2

    今井一光 (金曜日, 31 3月 2017 21:18)

    ありがとうございます。
    ある程度情報がハッキリして掲示板などもかかる山城の山であってもかなりリスキー
    な場面に遭遇するほどですから山という存在ののトップを目指す純然たる山登りは
    「命の危険」が隣り合わせであることが分かります。
    谷に落ちる=地獄に堕ちるをイメージしますのでまさに「くわばら」。
    突然のスリップについ「藁をもつかむ」思いでロープを掴んでしまいました。
    そもそも道を外したこと、腐って読みにくくなった木製「道しるべの矢印」
    が真正どちらを差しているか不明であったことが原因でした。