男と女の飯盛木 しゃもじの謂れ 多賀神社

あの「一旦同意書を送付するのでその書面を持って再申請」の選択は間違っていたようです~叔母さんの印鑑証明の件~。

昨日になって送付されてきた書面が「返送されてきた」と役場から連絡がありました。

それはなぜかというならば、当方に直接届くように郵便局に転送願いを出していたからです。それは叔母さんの方に重要書面が届いた場合、紛失を防ぎまた即座に対応するためですがそれの解除が必要とのことでした。

 

やれやれと思って次の選択肢、「同じ市民の証人を1名連れて来る」を検討に入りました。奥の墓道氏にメールして次の帰郷時期を問い合わせてみれば「GWまで帰れるワケがない」とのこと。よく考えれば彼は本籍のみが御前崎でしたからそもそもがダメだったでしょう。

ということで叔母さんご指名の民宿経営の奥さんに頼み込んで、役場まで同行いただき、何とか目的は遂げることができました。

 

以前は中電関係で大賑わいだったそうですが、今や見る影もなくその日は3人の宿泊の様。無借金で設備投資は無いがハッキリいって赤字で「そろそろやめたい」との声も。

別のお手伝いのおばさんからは「だいたい12人の宿泊があればやっていけるのよ」と。昨年の今頃は・・・?と聞けば「18人くらい・・・」とのことでした。

 

静岡県の人口流出数が全国ワースト4との発表がありましたが、まぁコレは中電の原発再稼働の方向性を危惧したものが大部分でしょう。私は本音としては原発に嫌悪感がありますが、当地には原発に依存している人も多数いるというのも事実で、そういう会話になった場合やはり「沈黙」するしかありませんでした。

つまるところ市政財源として原発誘致による安直を追求し続け、他の資源の創出というものを怠ってきた地元の政の古い体質が見えてくるのですが。

また粉飾のチャンピオン(新喜劇風・・・)、東芝さんの考えた「夢の原子力」は大夢想に終わったことはあの大損の躰を見させていただき、あらためましてそれを了解しています。

 

とにもかくにもおかげさまで叔母に必要な書面取得のお手伝いをしていただいた方にお礼を申し上げるばかりでした。

 

さて「猫も杓子も」は基本は「みんな」の意ではありますが、皮肉が籠っている語でもありますので「どいつもこいつも・・・」のなかば呆れている感覚も含んでいるよう。

まあ、現在のその使用は「一時の流行りものになびく軽率の群輩」に対して半ば軽蔑する意で使う語かも知れません。

 

ただし猫どもは人間と違って個性それぞれあって、そうは同じ方向性とはなりませんからその意味に取られることは心外でしょうね。また「杓子」が出てくる意味というものも少々不明です。

いろいろとその御説はあるようですが、私がそれを推測するにおそらくそれはやはり一見したところのそれらの性質からきているような気もします。

 

空腹のネコどもに食事の用意をすれば皆同じように集まる、そういった「みんな同じ」の行動(むしろ当たり前のことですが)はありますね。

そして「杓子」といえば「しゃもじ」そこからの類推は「飯盛」です。この「飯盛」とはモノではなく「ご飯を盛り付ける」行為から飯盛りをする人。

その人とは女中・・・であって歴史的に女中といえば宿場町宿屋につきものの「飯盛女」、転じて売春婦・・ということになります。

 

「猫」も「飯盛」も「欲のためなら何でもするもの」と解釈することができます。猫は食べ物、後者はカネということで。

その意味を考えると「猫も杓子も」は何かの欲に取りつかれたような亡者をも意味して「どいつもこいつも」と半分罵倒しているような雰囲気の漂う語として伝わっているのかも知れませんね。

 

「しゃもじ」といえば多賀神社ですね。

以前記したこちらの画像には土産屋に掛った大きなしゃもじを思い出します。

 

あの時は多賀神社脇の西徳寺を目指すにあたってとりあえずは名神高速道路の多賀SAにて昼食でも・・・と車を走らせている途中に画像の木を偶然見かけました。

何せそれらは畑のど真中にあって、目立ちます。

その2本の大木がまるで「風に吹かれて」の如く傾きつつ大地に根を張る姿は圧巻でした。

わざわざ立ち寄った甲斐があったというものです(場所はこちら)。

 

以前はもっとたくさんの欅が立っていたそうですが、次々に姿を消していったとのこと。

伝承としては何やら記されていましたが、こういった樹木はできうる限り大切に残していってやりたいと思いました。

 

⑦画像は男欅から見た女欅。バックがビール工場。

⑧はその逆で女欅から見た男欅です。背景は名神多賀SAと青龍山。