足利義尚の心中  放蕩自滅 ? 鈎の新御所  永正寺

これだけ寒いと体調の維持も思うようにいきません。

インフルエンザは依然として「警報レベル」のまま猛威を振るっている様、また特に循環器系の疾患の突発は激しい気温変化(・・・血圧変化)が影響しますので注意続行です。

といいながら私も寒さへの許容度も低くなってこのところの冷感覚はキツイですね。

 

昨日午前はいつもの調子の衣装(襦袢+白衣+黒衣)で法要が催されるお宅へ向かいました。

このカタチは空也上人の

「薜服に風を防ぐの外、更に何の謀をか企ん」の私なりの真似事です。本当のところはその前段の語も心に響く言葉ですが、何れは触れてみたいと思います。

 

衣装の件はそのほんの雰囲気だけのもので空也さんの目からすれば今の私のスタイルはそれでも「上等な着物」の部類でしょう。「寒い」などの泣きごとに「何の甘言を!」と嗤われるところ。

「薜」とはコケとか蔓ですのでそれで紡いだ着物の意、「粗末なもの」でしょう。

 

そのお宅の仏間に着座して見回せば暖房器具一つもなしの状況。それでいてまずまずの温かさを保っていました。

南向き開放感満点のその部屋には陽光が差し込んで、つい「我が家との段違い」を羨望の口調で訴えてしまいました。また隙間風が無いというのが段違い。

ところが本堂でのおつとめの際、私の息は気持ちイイくらいの白さでしたが、皆さんは「法事どころではない」とばかりにストーブを囲んでいました。2月の本堂はより一層痺れます。

 

報道による各地の降雪量にはまったく驚かされます。

彦根・米原・関ヶ原もこれからの降雪予報が出ていました。

強烈な積雪量ですね。

高速道路の通行止めと大渋滞の様子をみれば外出など禁物、予定なしの身としてはそれでも温暖な当地でぬくぬくしているのが一番です。

 

そしてどちらの「雪国」でも道路に融雪剤をバラまいていますが(気休め?)雪溶けして大雨が降るまでは車を走らすというのはイヤな感じです。車のシャーシ深部をボロボロに錆びさせるような気がして・・・また河川に流れ込めば・・・生き物も棲める状態ではなくなります。誰も指摘する人はいませんが、あんなので果たしていいのでしょうか?

 

さて昨日は足利義尚(義煕)の「鈎の陣」について記しました。

義尚の「陣中で病没」という点は紛れもない事実のようですが、やはり若き将軍が幕府権威の復権という大きな命題があったにしろ京都を出て自ら全軍を率いて戦うといった今でいう「現場主義」は少々突飛ような気がしないでもありません。

昨日はリゾート気分とは記しましたが簡単にそうとは言い切れないところもありますね。通常だったら気の利いた家臣を大将として下向させとけばイイというケースです。

 

六角高頼の逃亡からの長期戦をコレ幸いに、陣を敷いた鈎に屋敷を建立してあたかも御所の如く幕府政治の中枢にしようとした雰囲気も漂っています。

これは過干渉の母親と、政治に無興味の父親そして父母の不仲がその理由であったとも。そこに自宅に居たくない、帰りたくないという心境があったのでしょうか。

 

ブログのどちらかでも記しましたがかつての最悪視聴率と揶揄された(現在は最低は「平家物語」)大河ドラマの「花の乱」を思い出します。

彼の母親、日野富子と父親の将軍足利義政のお話でまさに応仁・文明乱前夜というところ、今見れば「セットがちゃちぃ」とは思うかもしれませんが、私にとっては面白すぎました。

今一度暇なときに(ずっと実現しませんが)ビデオ屋に出向いて最初から見直して復習してもいいくらいと思っています。

 

あの二人の男女ととりまきを見ていればそれはそれは世の中というものは荒れるだろうと合点しながら視聴しましたが、あの世界に居て、成人して「将軍」の座が転がり込めば今度は自身単独で誰の文句も言われない場所で「やりたい放題」をしたいと思うのが人というもの。

親の監視のない場所でより「育つ子供」もあれば脱線し時に親の希望空しく自滅する子もいるということも世の常ですね。

 

但しどうも腑に落ちないのは25歳の若者が早々に(都合よく)堕落して絶命するなどそうは無いことでしょうし、その死については「闇の中」なれど額面通りには受け取れないところです。

 

画像の永正寺が足利義尚が新御所址に作られたといわれています(場所はこちら)。東海道、上鈎交差点から僅かな距離です。

周囲土塁に囲まれた様子が当時の威容を物語っています。