五箇荘 和田  光明寺前にて思う  食違い虎口?

私はどこかぶらつく際に寺にぶつかればまずは大抵、境内に立ちいり、本堂のお参りまでを試みます。

「試みる」と記すのはそれがダメの場合があるからですね。

 

以前は殆どの場合、「どなでもお参りください」という感じで開放されていたものですが、最近の傾向はピシャリと錠が掛かっている場合が多い様に感じます。

ただし比較的真宗系の寺はその確率は低いようです・・・。

そうでないと経典拝読のエンドをかざる回向文の

「願以此功徳 平等施一切  同発菩提心  往生安楽国」が

泣きますから。

 

まぁどちらにあっても不穏な者の侵入が増えてその実害も散見されているという件は耳にしますのでそれも致し方ないことだとは思いますが、ホントはこういうカタチも例のあの国の大統領様の施策と同様で、「厄介な不届き者の来場に伴うリスクは事前にシャットアウトする」という思考からのものでしょうね。

 

先般も記しましたが、仏像泥棒などが大事なご本尊を、たとえばお隣の国などに持ち出されたとしたら完全にアウトですからね(少なくとも判例はつくりました)。

 

まぁ仏像に関しては圧倒的に立ち姿の阿弥陀如来は日本中に溢れかえっていますので、「盗品市場の需給関係」というものを推すれば殆ど「魅力的でない」はず。

よって真宗寺院はその「裏業界」からはパスされていることでしょう。そういう意味でも真宗系の境内フルオープンの傾向は強いのかと。

 

各お寺さんの方針を私がとやかく言うのもまたオカシなことでした。

 

正月休みが終わった愚息を京都に送り届けたあとの帰りは近江愛知川宿の大きい本堂の大谷派の寺へまずお参り。

自坊以外の阿弥陀さんへの「初参り」でした。そのあとは「五箇荘をぶらつこう」とそちらの和田という地区に。

 

目的地はその背後の山でしたが、手前に大谷派の光明寺がありました(場所はこちら)。

近江はどちらの集落でもまず大抵は真宗寺院がありますが、こちらも例外ではありませんでした。

 

色々拝見させていただいた中、私が「これは・・・」と思ったのがお寺の門前の違和感あるクランクでした。

車で通過する際にそれ(不快・・・)を思いましたが、このタイプは城下につきものの「食違い虎口?」と頭をよぎりました。

この寺の建立は永禄元年(1558)とのことですから、時代的に戦国真っ只中。

 

私が通過した際に思わず進行を邪魔するこの無意味なクランクは何?と思ったワケなのです。

直線通路を強制的に角をつけて曲がらせるのは、

①前方の視界を邪魔する②行き止まりの道と前方の閉塞感を思わせる③進行のスピードを落とさせる④進行を滞留させた軍に横矢横槍を入れられる⑤逃げ場を失った軍の背後を狙う「雪隠攻め」・・・等々の戦略防御の鉄則「食違い虎口」かも・・・と思ったのでした。

 

虎口は「ここう」と読めば「虎の口」・・・で「危険な場所」の意ですがこちらの「虎口」は「こぐち」読みであって元は「小口」から?。

こちらは「狭小な道」という意になります。

ただし「小さい道の入口」には上記の如く思わぬ「危険」が潜んでいることは違いありません。

 

しかしこれも私の勝手な発想で全然関係が無かったりして・・・

グルグル想像を巡らして歩きました。

まったくキリがありませんね。

上記後ろから三枚目の画像は和田区の地蔵堂。こういう建屋の脇に石仏が並べられているのもお決まりの情景です。

 

 

下図①~④は「食い違い虎口といえばコレ」、といわれるほど有名な観音寺城本丸の「食い違い虎口」石積み付。

石積み上には土塀、木塀を配しさらに門を構えていたのでしょうね。

⑤は同所(観音寺城域)「佐々木城」通路。極細に見えます。