摩訶耶寺の灯ろう・石塔・石仏・各残欠

昨夕の遠州はちょっとした嵐の様相。

荒れだしたのは昼過ぎてからでしたが、周辺地域のイベントとしては午前中に「どんど焼き」があったようです。

拙寺世話人さんが区の役員をしているため、それらの準備に軽トラとバーベキューセットを借りに来ました。

これは呼び名によっては「左義長」とも呼ばれる日本の古くからの伝統行事として有名です。

 

私の知っているものでは信長も結構なノリではしゃいだといわれる近江八幡の左義長があります。3月の中頃の開催ですが赤い蒟蒻の発祥も一説にこちらと聞きますね。

ということで午前中のイベントはすべてセーフでした。

 

ところが午後の天候は、まぁ天気予報通りではありましたが、一転して冷たい雨と強風が混じった不順な天候となりました。

 

その日は相良仏教会の曹洞宗寺院の住職の通夜があり、私もお邪魔させていただきましたが可哀想と思ったのは外で合羽を着て車両を誘導するそちらのお寺の檀家の皆さんでした。

天候のめぐり合わせは仕方ないことですが。

 

曹洞宗の和尚の逝去に際して、一般的に「通夜」という葬儀前夜の法要は「大夜佛事」と呼ばれるとのこと。私どもでは「逮夜」という言い回しはありました。

終始ドギマギしながらの行動はいつものことですが既にこの齢ともなると恥をかくのも慣れてきて、おそらく見苦しさも十二分に醸し出していることは自分でもわかっていますが、まぁこれを「図々しい」と呼ぶのかも知れませんね。

図々しさも様になるように・・・諦観。

 

受付では「差定」(さじょう)と呼ばれる式次第と配役が記された書面を渡されますが、ペラペラっとめくってみてまったくチンプンカンプンだということがわかります。とにかく顔見知りの浄土宗と臨済宗の住職のあとについて回って出仕して何とかその時間を過ごすことができました。

45分程度の正座の時間でした。

 

読経は「わからないので口パクすらできない」では済みませんね。あらかじめ「仏垂般涅槃略説教誡経」(ぶっすいはつ ねはんりゃくせつ きょうかいきょう)という経本を手渡されますのでそちらを御一同と拝読するワケです。

途中焼香鉢が回ってきて経本から目を離した時が困りましたが、お隣の臨済の住職のページをチラ見、先で待ち伏せして追いつきました。

 

この経典は他宗ではオーソドックスなもののようですね。

別名を「仏遺教経」といって釈迦の遺言を記したもののようです。その経典には「縦」という字がしばしば記されていてその一字で「ほしいまま」とカナが振ってありましたことが印象的でした。

「欲しいまま」とは自分の意思を「(思い通りに)縦に頑な」に向けるというところでしょうが、その意思を持って振る舞えば他者ともぶつかり決して仏の道を歩むことにはなりません。

釈迦の遺志は一言で「縦に生きるな」と勝手に解釈して帰路につきました。

 

さて昨日記した摩訶耶寺には他にも見ものはあります。

庭園と仏像そして格天井の絵画も特筆ですが私からすれば境内

の石塔美術の方に興味が向きます。

 

石塔・灯ろうそして本堂脇の宝篋印塔いずれも江戸期のもののようです。笠塔婆風の石仏肉彫りの様相は珍しいですね。

境内で古いもの(できれば室町期以前)・・・と探せばやはりこの辺り。最後の画像2枚ですね。

ただし宝篋印塔も五輪塔も各パーツごちゃ混ぜ感満載で積まれています。

卵塔(歴代住職の墓と推測)とそれらを分けてあげてもいいかな・・・とも思いました。余計な事ですみません。