金指近藤初代  近藤季用夫妻  實相寺  金指関所

寒いです。と言っても外の温度は4℃くらいかな?

外にラッピングで作った簡易温室がありますが、日々その中の温度計とにらめっこ。

そこが5℃を下回らないよう、電気ヒーターのスイッチをONしています。夏場の趣味、ハイビスカスたちと地植えしたベンジャミンを守るためですね。

昨年から始めた裏技ですが、少々冷や冷やしているのが、安物のヒーターが火を噴いたりしないかということ。

 

余計な事をして寺を燃やしたとしたら後悔しますし怒られますからね。

先般もスズメバチの駆除業者が依頼先の家を全焼させたというニュースがありました。

「因果応報」の事案は大抵は余計なことでも「たすけること」を主眼にしていれば「見逃してくれる・・・」のではないかと楽観はしていますが、注意は必要です。

余計な事と申すのは憚られますが溺れた子供を助けに飛び込んで救助に向かった人のみが亡くなるというケースも多々ありますので、やはりケースバイケースですしその時の「機運」でもありますね。

すべてにおいて注意を怠ってはいけませんでした。

 

さて浜松駅方面から三方原台地をまたいで井伊谷に向かって走り天竜浜名湖線の踏切を越せばT字路にあたります。

そちらを左に行って金指駅を左手にして右側の丘を上がったところに関所址があります(場所はここ)。

こちらが金指の関所がかつてあった場所。ちなみに「金指」は「カナサシ」で濁りません。

 

東海道の新居関の「裏番」として気賀の関所がありますがそれをさらに補うために新城経由信州方面の抜けに対応して設けられた関所です。

東海道の浜名湖という大きな湖に関所を多数設けて「人質と鉄砲」の出入りを監視することは効果的でした。

 

その関所の管轄が近藤季用。金指近藤家の初代となります。

彼のデビュー戦は小田原の役(1590)で井伊直政軍、父親の近藤秀用について戦功をあげて秀吉から褒美をもらっています。

翌年の九戸政実の乱への討伐軍6万に参加するなど関ヶ原を経て井伊谷に3500石を得ています。 

 

金指関所址をさらに上がったところに實相寺がありますが、円墳風の頂上に夫婦墓が建っています。向かって左側の五輪塔形式が季用の墓でお隣の笠塔婆風墓石が彼の奥さんのもの。

並べられた夫婦墓というもの数ある中、形が全く違うというのは珍しいことです。

これらは改変されて今のカタチになっていますが、おそらく奥さんの墓が先にあってそれに添えさせるように後付けされたように感じます。

 

最後の画像の石標は「奥山半僧坊大権現二里」とあります。

とても味がありますが、センスといもののひとかけらも感じられない構図となっています。

道路標識と電信柱に挟まれての図でした。

この丘を越えると左に井伊谷、右に三岳山が。