大晦日の正午にGO!    大澤寺 代々坊主橙坊主

いよいよ明日は大晦日。

恒例となった、というか今年で3回目の真昼間の鐘撞き大会、「除夕の鐘」(じょせきのかね)があります。

報恩講の際に世話人と婦人部の皆さんが揃う会合で、今年の「除夕の鐘」はポスターを作るなどして商店街のお店に協力を依頼し、まずは地道に「告知」浸透させよう・・・ということでまとまっていました。

 

11月の段階で関係者は準備万端、何時でもOKというところでしたが、師走に入ってから状況は変わってきました。

思わぬところから「除夕の鐘」への注目度が増したようで連日のマスコミ対応と相成ったワケであります。

ということですでに各方面から励ましや新たなクレーム等が飛び込んでくる始末で、「告知・周知」という意味では、そのポスターの数倍の効果があったかも知れません。

 

まったく未知の世界であり、いったいどういうことになるのかは当日蓋を開けてみなくてはわからないというところです。

一応は無料でご奉仕される豚汁と甘酒については絶対数を倍近くにしてスタンバイするとのこと。

豚汁が余ったらボランティアで出ている世話人さんの「夕飯にすればイイんじゃね」ぐらいのところです。

たくさんの人たちが来てくれればうれしいですね。不始末も出て来そうですが、とにかくも楽しく怪我のないように終わって、また楽しい年を迎えることが一番です。

 

昨日ブログに「山師の横行」について記しましたが、田沼時代というか「今」の風潮を表しているようにも見える狂歌に次のようなものがあります。これは結構有名なものですが、やはり藤田覚先生の史料にも紹介されていました。

 

世にあうは 道楽者に奢り者 ころび芸者に山師・運上

                 杉田玄白 「後見草」

そしてまた

「山師体の者ばかり利運にまかり成り」

「いよいよ世上一同山師体のようにまかり成り」

「山師の体多くござ候」

  御庭番梶野平九郎「風聞書」 ※山師の体  やましのてい

 

上記の「山師」オンパレードにその頃の時世の雰囲気が伝わってきますが、そもそも山師とは昨日記した「銀骨の御文」の如く鉱山従事者のこと。そこから一ひと儲け目論む―したたか―詐欺師・・などと意味が広がってかなり「胡散臭い人間」を醸し出す語のように感じますが、それらとは違ってむしろイイ意味に捉えることもあったようです。

それが田沼意次を評する「創意工夫を凝らした新たな試みをする人々」「斬新な政策提言をおこない、それを巧みに政策化した人々」の如くの意でその「山師」の扱い方はむしろ好意的。

この件は藤田先生が仰っていました。

 

しかし現在のその表現を使う場合はどちらかといえば冒頭の狂歌に出る「山師」であって人を揶揄する場合の方が多いのでは・・・?

 

その狂歌に登場するそれぞれはその状況から「悪い事」の雰囲気が漂っていますが「ころび芸者」と「運上」については補足。その言葉は今は使いませんからね。

「運上」とは「税金」と一言で解釈していただければと思います。今も年金や消費税、所得税などなど色々とお上に納め(上納)なくてはならない金員で頭を悩ませている方もいらっしゃると思いますが、それが溢れかえって何でもかんでも課税されるのではたまりませんからね。

 

そして「ころび芸者」の語彙はあまりにも差別的で無茶ですが敢えて記せば「一見芸者としてのくくりではあるものの『芸』というものには疎く稼ぐために体を売る女性」ですね。

要は「遊女」(ゆうじょ・あそびめ)ということで。

それらの人(こと)たちと遭遇する機会が増えたことを嘆いているのでしょう。要するに「ロクな世の中じゃあない」ということでしょうか。

 

さていよいよ正月を迎えます。本日午前中には餅屋さんに餅を取りにいきお飾りを。ブログには幾度か記していますが拙寺は門前や玄関に門松や正月飾りを付けませんのでそこのところは気楽です。

 

月のお飾りの餅の付き物といえば「橙」(だいだい)ですね。

可愛らしく載っている姿は何処でも見ることができますが、アレをミカンで代用するのでは本来の姿ではないのです。

橙は「当家代々」の「代々」繁栄の語呂合わせというのが定説でしょう。

 

そこで「橙武者」(だいだいむしゃ)の件、これも人を揶揄する語ですが、まずこの語を使用する場合、「薄田兼相(すすきだ かねすけ)」~岩見重太郎~を特定されるようです。

彼には武勇伝各ありますがそれは割愛。

司馬遼太郎のお馴染み歴史小説『一夜官女』にも。

 

この「橙」が冠に付くと・・・それは「みかけだおれ」の意味になるのです。よって見かけや噂では勇猛果敢だが実は役に立たないヘタレということ。

どうして彼にその「橙」付となったかといえば、大坂の陣でのヘマですね。

冬の陣では守備中の砦を抜け出して遊女のもとに向かったその留守中に徳川勢に襲われて砦は陥落という失態。夏の陣でも後藤基次の先駆けに大幅な遅れをとって後藤とともに討死したといいます。

 

橙は飾りとして鮮やかでまた食べたらおいしそう。

しかしいざ食すとなると酸っぱすぎて吐き出してしまうほどでとても食えない・・・飾りにしか使えないという意味になります。

 

最近の私も露出多く寺の宣伝は過剰の感。

見掛け倒しの「橙坊主」、胡散臭そうな「山師坊主」と処されぬよう。最低限の来年のテーマに・・・

①②は昨年の除夕の鐘、130発でしたが、さすがに今回はそれを超えるでしょう。

③はウィキから落合芳幾作『魁題百撰相:薄田隼人』