石仏、本尊の首・・仏教いじめ   生臭坊主の槍の味

毎日暖かい日々を過ごしています。

予報では9日も昨日より2℃ほど気温上昇とのこと。

そんな中、坊さんが 何事もなく寺の中で好き勝手にどうこう動いているうちはいたって平和。

ずっとそんなこんなで他愛もなく皆さんと遊んでいられればそれにこしたことはないですね。

 

それにしても今、「ためしに鐘をついてくれ」という依頼があって、私もそれに何らはばかることなくガンガン撞いていますが、もし近所の方がたとえそれを「うるさい」などと指摘したとすれば、インタビュアーが向かうことになって、世間から「お前か!!」などともいわれかねませんので、もしかして近隣諸家皆さん方、ひたすら耐えておられるのかと少々心配ではあります。

 

昨日はTBSと朝日の朝のニュース番組に立て続けにお見苦しい姿を晒してしまいました。

ブログではできるだけ姿を消したカットで画像をアップしているにも関わらず、現状お茶の間には立て続けにお恥ずかしい様を。

にも関わらず昨日も新聞社の取材に夕刻からは日本テレビの9日午前のニュース番組の訪問がありました。

 

話はとびますが、新聞社から来た記者さんも日テレの担当者も若い女性でした。

一昨日の女史たちも深夜12時ころまでなら確認の電話を入れても大丈夫?という話になっていましたが、皆さん会社に帰っての翌日の段取りで放送終了まで気が抜けないようです(新聞社は取材段階とのこと)。

まともな熟睡ができているのか心配になってしまいます。

私には到底できないお仕事でした。

 

女性の超過労働については先般電通社員の件で承知していますが、そんなに責任を背負って、それに生きがいというものを感じで自立していったら・・・「家庭を持つ」という気にはさらさらならないだろう・・また猛烈な「心底熱心」「職種没頭」の姿を感じました。

時代は変わりましたね。

 

まったくそれらのことに頭を振っているうちが花です。

昨日は午前に訃報が入ってしまいました。

私がお調子に乗り過ぎているせいでしょうか・・・

 

拙寺寺楽市でバリバリ活躍していた奥様でご主人とも相良ではかなりの有名人。知らないという方はそうはいないのではないでしょうか・・・

やはり仕事と家事を「他者の倍」両立していた人です。

 

第一報で早朝に急変とのことですが何が起こったのかまったくわかりません。

とにかく「まだ若い」ということと「残されたいろいろ・・・」を考えればため息というものが出てきます。

そのあたりはこの地域に住む誰もがそう感じていることでしょう。

 

さて、①近隣騒音について②文化(仏像)破壊について。

 

①厚木基地(米軍と自衛隊の使用)大和、綾瀬市の周辺住民ら約7千人が起こした、軍用機の飛行差し止めや騒音被害に対する損害賠償を国に求めた訴訟の上告審について、「住民配慮」とはかけ離れた判決が下されました。

 

私も大和市の相方の実家にも行きますし、沖縄は読谷、恩納、うるま市(旧石川市)と住処を変えましたが、ハッキリ言ってあの爆音は「除夕の鐘」どころじゃぁないですね。

お茶の間が瞬時に「戦場と化す」といった状態です。

おそらく判決を下す裁判官諸氏はそういう「直下」での生活経験がないのでしょうね。耳もとでやられてみなけりゃ実感がわかない・・・「住んでみなくちゃわからない」のです。

あの強烈な爆音は。

時々アレは墜落することもありますので、基地の近くの住民は気が気ではないでしょうね。本当に忍従を強いているとはあれらのことです。まったく「騒音」の種類が違いますからね。

 

②こそ「個による宗教弾圧-仏教いじめ」ですね。

昨日は「除夜の鐘のクレームは宗教弾圧だからそんなやつは絶対にあぶりだせ」なる「強靭なアドバイス」をお電話でいただきましたが、今福島県内で頻発している地蔵石仏や本堂本尊への破壊冒涜は気分が悪くなりました。

 

流行りものの如くの国宝クラスの仏像への「液体まき」に始まって、今回のものは強烈な悪意が漂います。

カンタン・コンビニエンスな場所で安直というところが前者とは違います。

無人の本堂に上がり込んで無茶苦茶にして、本尊を引きづり出したあげく放り投げるなどの行為はまっとうな人間のやることではありませんね。煩悩具足の凡夫であってもそこのところは「大概にしろ」と言いたいですね。

 

この手の行為は「何かの腹いせ」が最も考えられるところですが、複数寺院に飛び火していることから、「仏教」そのものへの反発、憤りによる暴挙が考えられます。

以前の国宝クラスへの器物損壊の人は海外に逃亡しているため逮捕にはいたっていないようですが、キリスト教系の新興宗教に属している人だったといいます。私は仏教宗旨への反感が凝縮し偏った思想の持主なのかと推測したところです。

 

宗教宗旨信心というもはしばしば排他的となるのはわからないものではないのですが、その反発として旧来の仏教崇敬の対象に破壊実践行動をとることはご法度である以前に「人の心の荒(すさ)み」を思います。

これはこれまでの日本人の感覚では出現しなかったことです。何よりもそこのところが大きな驚きでした。

 

もし拙寺本堂内でその手の輩と遭遇したとしたら・・・

標記の如く「生臭坊主の槍の味」を披露させていただきましょう。あの暴力に対し「自分の首を取っていることと同じ」を知らしめてあげたいですね。

 

阿弥陀さまの下に育てらた御恩をそこでバクハツさせたいものです。それこそが真宗(元一向宗)門徒の気概でしょう。

阿弥陀様は本意ではなくとも「生臭坊主」には許すことはできません。代々命がけで守ってきた「守るべきもの」ですから。

あまりに腹が立ちましたので筆が端折ってしまいました。

ご無礼をお許しください。

 

画像はいただきものののカツオにサザエに伊勢エビ。

こんな豪華なものを美味しくいただいて偉そうなことをのたまわっているから「生臭坊主」。

その「生臭の力」をくまモンバック掛けと化してしまったあの槍に今一度出番を与えたい。是非お味見くだされ、無法者殿。

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (金曜日, 09 12月 2016 09:00)

    突然の訃報に唖然として、どうにもできない自分に腹が立ちました。
    仕事が忙しくお歳暮用の味噌漬けに根を詰めていて自分の体を信用し過ぎたのか。
    何度も入院しても「大丈夫だよ」の一言。
    ただただ 切ないです。
    せめて夫に「しっかりと送ってやれ」と言うしかありません。

  • #2

    今井一光 (金曜日, 09 12月 2016 10:21)

    ありがとうございます。
    まさに仰る通りですね。
    「心を強く持って・・・」と声をかけるばかりでした。