電池切れ見て己の寿命を思う  動かないとダメ

先日13日に、年配者の交通事故の件についてブログにて触れさせていただきましたがあれ以来その手のニュースが入らない日がないといえるほど交通事故が頻発しています。

 

また免許証について加齢による判断能力の低下を理由に各自の判断で返納することを推奨し、「75歳以上」という数字が提示されてその年齢に到達した免許証保有者には毎年更新手続きを行うよう法改正を進めていこうという案も出てきました。

 

「将来の、それもあまり遠くない、『私の事』」ですね。

「その時」の私について果たしてどうなっているかなど語ることはできません。

ただしいつものように、それも皆さんと同様だと思いますが「自分だけは大丈夫」などという気持ちもどこかに潜んでいるのもので鼻持ちならない自分もあったりします。

まぁそれまで生かされているということを大前提にそれを思料しているというのですから勝手といえば勝手ですね。

 

昨日も年配者ステッカーの車両が一方通行出口に突っ込んで来るのを目の当たりにしましたが、あの様子を見て何事も起こらずやりすごすことは双方ともただただ「運だけ」ですね。

もらい事故となったとしたら「運が無かった」という意外まったくなし。みんなみんな「自分は大丈夫」なのでしょう。

 

私は絶対「大丈夫ではない」と将来のわが身の成り行きについてはかなり警戒していますが、それでは「不覚也」への「気づき」のタイミング―自覚―はいったい何処なのか、それに気づいた時が「武運悉く尽きた」との覚悟が同時であることは致命的悲劇です。

「気づき」の大切さについては当流の真髄でもありました。

 

さて、約10日ほど前に愛車のバッテリーがあがってしまいました。以前の車と同様ジーゼル車でバッテリーの容量は多め(115)

で結構値が張りますしそもそもその辺の量販店のカー用品コーナーではせいぜい95クラスまでで所望するバッテリーは置いていませんね。

 

1回バッテリーをあげてしまうと「あがり癖」がつきますし「そろそろ寿命」というサインでもありますから、「充電して」の悪あがきは選択肢に入れずにそれでも「購入」の線で検討しました。以前から高価なバッテリーに関しては中古バッテリーの購入をしてきましたが、今回もネットで調べて「激安」だったそれを注文しました。

ところが業者指定口座に入金しても一向に品物が届きません。

何度も問い合わせてみましたが海外から(おそらく東南アジア)の発送のよう。問い合わせには「送った」「出した」の返答メールでらちがあきませんので、一昨日から車からバッテリーを取り出して、容量は小さいながらも充電器を探し出して一晩チャージしました。

 

10年以上も使っていなかった充電器は稼働したものの結構発熱していましたので、発火しはしないだろうか一晩冷や冷やでした。10時間はのんびりとチャージして再装着のうえ、念のため軽自動車ながらそれとジャンプコードでバッテリー同士をつないでスイッチONすればめでたくも何とかエンジンはスタートすることができたのでした。

 

ということで昨日は朝からただ充電のために東名高速利用で浜松方面に向かったのでしたが上記の如く、年配者の逆行進行に出くわしたのでした。午後も心配で雨中走りましたが絶好調です。明日の朝も心配ですが、何とか復活したような気がします。

 

そこで想ったのが表記「電池切れ見て己の寿命を思う」です。

今回は注文していたにも関わらず無理して復活させたのはどうしても今週に車を使用しなくてはならない理由があって海外から送られてくるものなどを待っていられなかったからです。

 

バッテリーは消耗品です。これは人の心身と同様ですね。

そのバッテリーがあがってしまう理由は「寿命と充電不足」は言うまでもないこと。寿命に関してはどうにもなりませんが「充電不足」とは「走らないこと」なのです。車は20日以上放ったらかしでした。

 

走ることによってバッテリーは充電されますので走らなければ放電するのみなのです。

バッテリーは人の命と同じでした。

特に気温が下がる頃に不調をきたすことも。

人は座っていると寿命が縮むということも聞きましたが「動く」ということがいかに大事なことか。

バッテリーがあがって気づかされました。「動けば充電される」というところもわかるような気がします。

 

①②は「釣瓶」(つるべ)。

お馴染み「あきのひはつるべおとし」の「つるべ」です。

親鸞さんの

「秋はつる 落葉は冬ぞ いざさらば 

             無量寿国の春ぞ なつかし」

                      (→勝福寺)

も同時に連想。

どちらにせよ「老いの坂」の下り坂は早く感じるものでしょう。親鸞さんはそうは言っても動きまくっていたから九十歳まで。

 

③は再掲です。

牧之原市史料館では「郷土の画人展」の後期展示会が開催されます。先日、史料館の長谷川氏に拙寺本堂の格天井に描かれていた寺田洞仙の画を数点渡しました。

 

平成28年11月22日(火)~12月4日(日) 

午前9時~午後4時

※月曜休館日 入場無料

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (火曜日, 22 11月 2016 09:11)

    高齢者事故、もっと多いのは若者の事故。
    マスコミの悪いところ、「図に乗って煽る。」
    メーカーもせめてアクセルとブレーキの間違いを少なくする車を考えるべき。
    (誤通路は防ぎようがないかも・・・でも間違いやすい道路がある事も確かです。)
    田舎では免許を返納すれば陸の孤島。これを何とかしなければ返納することはできません。

    今度買う車は、せめて誤発進防止がついた車です。

  • #2

    今井一光 (火曜日, 22 11月 2016 10:48)

    ありがとうございます。
    メーカーは誰でも動かせるゴーカートみたいな車を作り過ぎました。
    「だれでもカンタン」は恐ろしい。
    老若男女だれでもあの巨体を動かすことができるのですから。

    これからは本当に止まる車、動かない車、いうことを聞かない難しい車が車づくりの
    コンセプトとなるかもしれませんね。

    車を取り上げられた年配者は往々に痴ほうが進みます。
    どうしてくれるんでしょう。これから・・・