東山の新名所追記  将軍塚とその上のステージ

政の不平不満はあるにしろことお天気のことに対しては文句は言えません。何かのイベントに際して天候を気にすることは必定ですが、そんな時、快晴にならずともまぁ「降雨でなければ上出来」の気持ちはありますね。

 

遠州相良は太平洋に尖がって突き出ていますので何かと天気予報とは違う状況を呈します。

前線通過は山方の国道1号線上の移動が多く見られて(掛川→金谷→島田)、そのコース下にある地が土砂降りだとしても案外相良だけが晴れていたりします。そんな時は「したり顔」、わが郷土の地理的優位を有り難く享受しました。

 

ところがその逆パターンもあったりします。

とても稀ですが東海地区が予報ではお天気マークで「よしよし」と思っていればこの辺りだけ雨が降るなどいうことも。

たまたま太平洋上の前線通過が遅れて前線に近い分、その雲がかかってしまうということです。

 

それが昨日早朝の相良でした。予報を信じきって余裕をかましていればざあざあ降りから五月雨的まで。御日様マークを見せつけられてイイ天気の報恩講になると安堵していただけにがっかり感も一層。その前夜には雨に濡れながら門前と本堂前の提灯を片付けに出ました。

 

朝5時には焼き芋用のドラムに檀家さんが火をおこしに来ていましたが、合羽を着ての作業で大変そう。寒さの方はさほどに感じませんでしたが出足が鈍くなると思うのは残念なことです。

 

雨がやんだのは楽市が始まった8時頃。

当初は半信半疑で、いつ降る出すかかわからないような感じでしたが、結局は以後一粒も雨は落ちてきませんでした。

本当に「おかげさま」を感じたところでみなさんに「よかったね」などと言われてニッコリでした。

まぁいろいろありましたが、つまるところ終わってみれば「すべてよし」の報恩講でした。

寺楽市+寺寄席、知らない顔もちらほら見えて総代さん方も「わるくない」と。境内に子供達の姿をもっと増やしたいですね。

世話人様他みなさん、ありがとうございました。

次回は「除夕の鐘」12月31日午前1100に集合です。

 

さて、昨日の東山の新名所大舞台には青龍殿を隔て将軍塚の上にもう一つ「舞台」が設置されています。こちらは大舞台から窺えなかった京都南部を一望にできます。

ということでこの地区にはこれまでのお馴染み無料駐車場とあわせて3か所の展望台ができたというワケです。

青龍殿には国宝の「青不動」という絹本図」(青不動明王二童子像)がありますが、普段見えるものは御簾奥の模写になります。

 

門徒物知らずの身としてはその御利益とやらには何らの期待はありませんが、史的美術品としての興味はあります。ただし、こちらに来て外が青空で空気がうまかったらやはり大舞台の方に興味が行ってしまいますね。

 

将軍塚は桓武天皇の平安遷都(794年)の事前視察の位置がここだったことにちなんで洛陽鎮護のために鎧塚(の類)を作ったというのがいわれのようです。

円墳状の古墳の形態となっていますが、内部形状の探査等、学術調査の話は聞こえてきません(私が知らないだけ?・・・)。

石室などはなく、ただ埋めただけの場所を塚状に後世仕上げたという感もあります。

 

以前はこちら、「大日堂将軍塚」と呼ばれていましたが、青龍殿建設後に名を改めているようです。今は大日堂は拝観チケット売り場(⑩画像)。⑪⑫は尾根の東側、山科方向。

⑬は付近散策路。

各方面からも歩いて目指すことはできるようです。