編笠清蔵 伊藤七蔵高名の事→「女は遊べ物語」

昨日の如く「男尊女卑」の時代は2000年以上にわたって続いたのは我が国だけのこととは限らないとは思いますが、各時代の女たちはそうは考えるほど弱かったとは思えませんね。

「慣例」が厳格化して女性の口出し(社会進出)を阻む雰囲気が宗教界にあったというくらいのものでしょう。

 

古くから卑弥呼に推古天皇、淀殿に春日局・・・時期大河ドラマも女城主井伊直虎というくらいですからね。

また今上天皇が「退位したい」と示唆しているのですから、「女帝であろうが何であろうがOK」とさっさと決めればいいのに・・・と思うところです。

何も決められない右往左往を見せつけられていますので。何か面倒なことは先延ばし放置したいという雰囲気が見えてあたかも見殺しにしているようにも感じます。

 

さて、昨日は相良伊東(伊藤)家の法事がありました。朝からの土砂降りで墓参ずぶ濡れの態を覚悟しましたが法事開式1時間前には雨は止んでいて、そんな些細なことにも歓喜したところでした。

「一喜一憂するな」という語も戒めのように伝わりますが、人間思わぬ嬉しさを感じたら素直に喜びを表して「ニッコリ」することは悪いことでは無いと思います。憂いがあればいつもの

「心配するな 何とかなる」で収めればGood!!ですね。

 

まぁ一番に嬉しかったことは「墓場放浪記 見てますよ!!」と御縁の方より声がかかったことですが・・・

 

その伊東家は分家に伊藤を名のる家がありますが、これは池新田の河原﨑が川原﨑に明治初期の平民苗字必称義務令のドサクサの錯誤で役所に記されたのと同様のことで「東」も「藤」も大差ないところです。

そもそも歴史上文書に出て来る名称、個人名など「あて字」のようなものばかりです。「耳」で聞こえたものを字に変換したのですから。ちなみに俳優の「伊東四朗」の父系はかつて拙寺御門徒でした。 

 

ブログでもかつて記したことがあったと思いますがこの伊東家の出自について現御当主と論じた事があります。

詳細は不明とのことでしたが当初たまたま伊東家の家紋が目に入った私はその「梶紋」に諏訪神社社紋を思いおこして、これは武田勝頼に引率された諏訪衆の可能性があって高天神城開城の際「高天神城崩れ」となって当地に残ったと勝手な推測をたてたものでした。

 

その際は「伊東(伊豆の東の湊)からの出自とも聞く」という御当主の言葉に「少々落としどころとして簡単では・・・」と思ったものでした。

御当主は相良の田沼塾にも通っている方で、史跡研究会の中村氏の指導がバックにありますので、まんざら根拠がなくその推測を立てているとは思いませんでしたが・・・

 

伊豆の伊東といえば「藤原南家流工藤氏」の縁地でありその流れは勝間田氏、相良氏、横地氏と同族ということになりますし、伊東家は大澤寺が相良大沢から家康の命で相良新町に移転するより前から居た相良でも古い家ですから。

大澤寺が新町に来る以前は堀野新田の了見寺の御門徒で、現当主が子供の頃、大八車で墓石を移動するのを付いて歩いたと仰っていました。

 

そもそも何故に浄土真宗だったのかというところが疑問です。それは宗旨はたくさんありますが遠州でもこの辺りは真宗が少ない地でその流れの元がある程度推測できるのです。

まぁある時突然真宗に改宗したということもあったでしょうが・・・。この辺りでは三河系か近江系そして紀州か堺からの流入が主です。当初はその件が頭に残っていたものですから、西からの流れはあっても東から(伊豆)からの流れは考えられないと思っていたのでした。

 

人の家の出自(ルーツ)を気にするのは悪い癖で、どうしても法事のあとも気になっていましたが、やはり「藤原南家」の伊東の方がスンナリで正解なのかもと突然思ったのでした。

其の日も不思議な示唆的アドバイス・・・この手のことは「如来さんのお達し」ということで大事にします・・・がありました。

まあ話半分ということで・・・

 

昨日から始まったNHKラジオ第一のオーディオドラマ新日曜名作座 司馬遼太郎短編集「戦国の男と女たち」の第1回です。

午後7時20分~50分。

NHKラジオは「らじるらじる」といってインターネットラジオで聴くことができます。コレは雑音もなく最高の環境であってなかなかよろしいサービスだと思います。

 

以前から西田敏行と竹下景子の二人のラジオドラマとしてありましたが、今回は司馬遼太郎の短編特集でその第一回目が標記の

「女は遊べ物語」でした。内容は金遣いの荒い女房のために功名を得んが為に戦場を駆け巡り手柄も立てて出世してますます妻が喜んで夫を叱咤・・・というようなストーリーですが、その中での譬えが妻が鵜匠で伊東(藤)七蔵がそれに操られて獲物を捕る「鵜」というところです。

 

『常山記談』に収められた「伊藤七蔵高名の事」が司馬遼太郎の元ネタのようですね(画像②国会図書館より)。

それにしてもあの短い文章からよくもまぁあそこまで演出するものか、感心させられました。

今の大河ドラマの演出は史実度外視(新説と開き直ればそれでヨシ)の現代ドラマでした。

ラジオの司馬遼太郎の方はそれでもその中の会話の「言葉たちに」聞きほれてしまうくらいでした。

登場人物は西田と竹下二人きりで廻し、あとは音声だけ。

おカネもかかっていませんし面白い番組です。

 

この伊東七蔵(伊東長久)という人の別名「編笠清蔵」は信長が付けたもので、出自は尾張岩倉といいます。元は「祐之」と名乗っていてその父親の名も「祐元」と。この「祐」は伊豆伊東の工藤系の「通字」ですね。ちなみに改名した「長久」の「長」は信長の偏諱。

 

くだらない「お告げの如きこじ付け」と一蹴されて構いませんが、伊東家の法事の後にそのルーツを再考している時、たまたま点けた「らじるらじる」で司馬の描いた「伊東」のドラマが放映されるなんて・・・、自分的にはただの偶然とは思えないのです。

 

「女は遊べ物語」は現代のテレビドラマにもアレンジされています。ストーリーが記されているサイトはこちら。こちらの主人公というのも西田敏行でした。丁寧に掲載書籍も記してあります。

ラジオの方は短編をあと5回楽しめます。日曜夜7時20分からラジオ第一です。

 

①のグラフは驚愕。

「女は遊べ」風面白い女傑を探そうにも静岡にはすでにいないようです。静岡県から都内他に流出する世代別の状況ですね。

10年ほど前から突出して若い女性の静岡離れが進んでいます。

 

女(鵜匠)が居なくては男(鵜)は育ちません。船底を叩いて叱咤激励する役が消滅していくことほどの不幸はかつてなかったこと。

 

国も県も市ももっと危機感を持たないと・・・

「牧之原に嫁に来たら100万円の報奨金」(あったとしたら)など安いものでしょ。

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コメント: 5
  • #1

    野村幸一 (月曜日, 10 10月 2016 01:22)

    伊東四朗のルーツが相良だとは知りませんでした!父親が大澤寺の門徒なのですね。私の曽祖父の友人に伊藤ひろしさんと確か聞いていたと思うのですが、その方と一族かもしれません。

    相良方面は大物芸能人が輩出してますね。加藤剛は御前崎出身みたいですが、地域的にザックリ見ればはほとんど同じですよね。聞いた話だと、加藤剛の従姉妹が当家の幸雄氏の奥様だとか。

  • #2

    今井一光 (月曜日, 10 10月 2016 07:55)

    ありがとうございます。
    加藤剛は現牧之原市長の血縁となり当地にも親子で参っています(演劇)。
    親戚も多く、拙寺檀家さんでいえば伊東家と同じ家紋の梶紋の植田家です。
    加藤剛が大河ドラマに出演していた頃、たまたま植田家の法事があって
    本堂前で撮影した加藤剛の並ぶ集合写真がどこかの引き出しに
    しまってあったと思います。
    その植田家から幸雄氏に嫁いだ方がそうですね。

  • #3

    野村幸一 (月曜日, 10 10月 2016 12:36)

    そうですね植田家の方と聞いてます。幸雄氏とは比較的近い親戚ですが…本家並みに付き合いが無く(笑)

    その本堂前での写真、もし見つかるようならメールしていただけると嬉しいです

  • #4

    今井一光 (月曜日, 10 10月 2016 17:41)

    了解しました。どこかにはあると思いますが・・・
    見つかったら連絡いたします。

  • #5

    野村幸一 (月曜日, 10 10月 2016 21:39)

    ありがとうございます!貴重な史料です(^_^)