春 布施山の ミツバツツジ  布施山城

昨晩21時前に成田から従妹の「量美」より公衆電話。「今からブラジル帰ります」のご挨拶。

そしてニュース2題。

台風18号の勢力はかなりエグイものがありますね。

905hPaといいます。

私が沖縄に居た時、最大と認識していたのはたしか920~930hPa(当時はミリバール)でしたから今回のものはその上をいっています。

当時、指が飛び船が道に上がり電柱が倒れるという驚愕のシーンをニュースで聞き、また通過後の惨憺たる姿を目の当たりにしたことを覚えていますし東シナ海側の仕事先の恩納村側から自宅のあった当時の石川市に抜ける「屋嘉道」(当時はトンネルがない)の通過は木々が飛び交って命がけの感がありました。

どちらかでも記したと思いますが、「指が飛ぶ」とは開けたドアが強風に煽られてドア枠に残った指を切断するという意です。

内地では信じられませんがこれは台風シーズンには毎年聞く話でいかに台風の強風が強烈かわかるところです。

 

駐車場に車を停車してドアを開けた時隣の車にブチ当てることもよくある事案でした。よってモノにドアが当たらないにしろドアのヒンジ部分を壊すということが起こって私はその後者の方をやらかしてドアの閉まりを悪くし「イラっ」とさせられたものでした。

 

嘉数さんというプロのウィンドサーファーが私のボスでしたが彼は大荒れの湾内に出て「マストが折れた」などとニヤニヤしていたことを未だ鮮烈な思い出として残っています。

これらは静岡にいてはあり得ない体験で以前にも記した憶えがありますが・・・。そういう台風が沖縄に向かっているということですね。勢力が落ちずに北上すれば九州が同じような目にあうでしょう。どうかお気を付けください。

 

それから・・・まさかまた日本人が・・・今年のノーベル医学生理学賞に大隅良典栄誉教授が決まりました。勿論私は失礼ながら先生の名も受賞研究の「オートファジー」も初見でしたが、立派な快挙を遂げたものだと嬉しくなりました。何といっても先生が単独で受賞したということがスゴいのですね。各報道機関もその受賞にサプライズがあったせいか6時過ぎの発表でしたが7時過ぎのNHKのニュースでさえもドタバタしていたようです。

アベさんが電話をかけて祝福していましたが、まるで「人気取り」のようにも窺えて違和感ありました。一方的にしゃべっておしまいでしたね。

 

「オートファジー」についてさらっと調べてみたら、これは細胞レベルのお話ではありますが、つまるところ自身リセット・・死・・をも連想しますが、ガン細胞の自死作用を促す行程が導けらるとしたら、ガンの発生部位に関わらず、ガンそのものを消滅させられる可能性がありますね。期待しましょう。

特にどちらでも政治家・お役人の皆さん、まずは「オートファジー」は貴方がたからですね。頼みます。

 

さて、昨日は「布施町」について記しました。あの小さな町には実は大学があるのです。「びわこ学院大学」なる名称でこれも私は初見でしたが、当時こちらをぶらついた際は息子は進学前でしたので、京都の繁華街と比べてこちらの学校も「悪くない」と思ったものです。

何しろ周囲は「何もない」が一番の表現のようでしたから。

そのアイディアを当家のボスに告げたところ、どうせ今と同じ、「近江ベースでほっつき歩くだけ」と。

 

布施町の顔はやはり「布施山城」ですね。鈴鹿山脈から西の琵琶湖方向に延びる舌状台地の先端にあたる単独山系にあります。「梁塵秘抄」にも歌われたという布施溜池を防衛上の堀に見立てた要害性も感じられます。

布施公園と呼ばれている場所で大きな駐車場がありますので水鳥観察を主眼に建てられた「観知溜館(みちるかん)」なる建物を目指して山と池の間の遊歩道を進み⑦⓼の石仏から登城開始します(場所はここあたり)。

 

城主として「布施三河守」の名が出てきますがこちらがおそらく本家筋。観音寺の布施淡路・・・布施公雄の縁者を連想します。

淡路は六角義治に謀反を起こして浅井長政に通じて篭城し、その後は信長侵攻時はさっさと信長に付いているようです。

三河守も信長侵攻の際当初は籠城交戦しますがこちらも城を出て臣従していて「信長公記」(第九 天正四年)にもその件は記されています。

安土城の信長公のもとには「古今稀なる名宝の数々が集まった」という部分です。

 

「六角承禎の家に代々伝わっていた『真鳥羽根付き節無しの矢軸』という名宝も布施三河守によって探し当てられ、信長公に献上されるところとなった」と。その後彼らは歴史の中に消えていったのでした。

その後400年以上の間、放置されたままになっていたのでしょうが、曲輪といえばそう、土塁といえばそう・・・という感覚はこの手の山城につきものの景観。画像に収めたとしても「サッパリわからない」状態になりますので、とにかく現地を歩くことをお勧めします。

 

私が登城したのは昨日記した布施町散策と一緒でしたので季節は4月初めのことでした。

ここのところ毎年の如くミツバツツジを購入して今3株となっていますが、それはこちらの山に咲き誇るその花の色のはなやかさに惚れ込んでのものでした。

見どころは1週間程度で終わってしまいますが・・・それまでの冬の殺風景に慣れた気持ちをその色で覚醒させてくれます。

 

冬は山城にうってつけの季節ではありますが、春の花が咲き出す野山はまた格別ですね。