秋の山城散策で想う 一杯喰わされる・・・

テレビ小僧の楽しみ・・・BS朝日10月2日(日)五木寛之の百寺巡礼2016スペシャル。その筋のお好きな方々、お見逃しなく。(→サイト)

 

それにしてもこの週間天気予報も酷いですね。うんざりです。

「また台風がくる」。これは昨日の檀家さんとの会話の中で印象にのこった話の冒頭。

今(台風に)来られると・・・

「発芽したばかりの大根がやられる」ので辛いと。発芽してしばらくの間の環境の変化(・・激変)には一番のダメージを受けるのだそうです。

考えてみれば人でいえば乳児と同じような時期ですからね。

「何とか、どこかに行っちゃってほしいね」という言葉で別れました。

 

冬の状況にもよりますが、1本100円少々の値が付くことを期待しつつ(暖冬ともなると90円も割れて70円~50円もあって、収穫放棄する場合も)これからの時期は精魂込めて大根を育てられています。

1本当たりの数十円の利益に一喜一憂することをわかっていてもそれを天命の如く受け止めて体を酷使し、頭を悩ませながら一所懸命の姿を思います。本当に大変です。

 

当地の農家の方々が茶でも大根でもイチジクでも農作物の出来栄え、成果と家業、生活の糧への希望に向かって日々動かれているその中で「テレビ小僧」と自虐的、日々ぼけ~っとしているのは申し訳なくそれを許容される寺という立場に有難さも感じます。

まぁ坊主が暇なら「それでイイ」という思考もアリなのかも知れませんが・・・。言い訳としては、「天候さえよかったら外仕事でも・・・」となるのですが・・・正直のところ、時間が許してくれるなら、興味ある講演に赴き先生たちの話に耳を傾け、博物館、墓地そして城址をぶらつくことに足を向けたいという欲求が勝ってしまいます。

 

先般京都よりさらに西に中国道を息子の運転で向かい山城の3つ4つを歩く機会に恵まれました。まだまだミンミン蝉の声が時折聞こえてくるくらいで「夏の終わり」という表現の方がいいくらいの暑さ。

クマ出没のリスクも感じましたが、このチャンスを逃したらそうは来れる場所ではないからと一気に歩きました。何といっても運転手付きでもありますから。

 

その山道を歩きながら考えました。戦国期から慶長期にかけての戦国武将の突然死についてです。

死についての理由は後講釈で色々付けられていますが「あの若さで?」「あのタイミングで?」といわゆる「不審」を想う死が結構ありますね。

池田輝政48歳、浅野幸長38歳、加藤清正49歳・・・羅列したものは秀吉恩顧の武将たちではありますが、「本当の死因は何?」と思わせる件は古より多々。ひょっとして「一杯喰わされた?」と。

 

ということでそのようなとき「毒殺説」というものがまことしやかに闊歩しだすのが常なのですが、ではその毒とはもしかして・・・と歩きながら考えたのがキノコたち。

 

ちなみに「奥の墓道氏」がこういったツアーに「参戦」した場合、彼は絶対に運転はしませんので、助手席で「きのこの山」なる菓子を好んでポリポリやっています。

隣で運転しているとその音とチョコの匂いに無性に腹が立ってくるのですが、禁煙を強制させているため私も文句は言えません。

 

それが今の季節、山歩きをするとまさに「きのこの山」が眼前に。まさに毒々しい色で、絶対に「喰えない」だろうとは思うものたちがズラリと並びます。

やはり、その判定(うまいかまずいか、それ以前の問題か)はどこかで誰かそれを実際に食して確かめたのだろうと思ったのでした。自然の恵みには有毒なものが多々ありますが、やはりそういったチャレンジャーがかつていたということなのでしょうね。「食べて初めてわかる」というものですから。

我らは先人の経験則のうえで色々なものを口にできるのです。

 

しかしながら私はキノコを食すとしたらシイタケ(時々松茸も登場・・)が殆どというか、他のモノであっても栽培されて店頭に並べられてたものたちばかりです。山で採取することは絶対にありません。

 

義父は神奈川の地元で「きのこの会」とやらに入っていて、その筋の先生に連れられては山菜ときのこ狩に行ってましたが、私はその先生とやらが信じられません。

よく「間違って食べて・・・」という報道がされていますね。

ただし義父は長野県の山に松茸を採りに登っていて毎年この時期になると「松茸まだぁ~」と首を長く待っていた私がありましたが・・・

 

この時期の楽しみは山芋堀りでもありましたが、よく言われることに『山芋を狙って「ハシリドコロ」と間違えるな!!』と。

葉っぱが違いますし間違いようがないと思いますが、ヤマイモを掘っている最中にそれを掘り当てて間違えてしまうというパターンがあり得るということでしょう。

 

何ともその名前が面白いですよね。

間違って食べれば「錯乱状態になって藪の中を走り出す」ということから命名されたというのですから。

以前からコレを「墓道氏に喰わせたら・・・」と想像しながらニヤニヤしていました。

 

また私は絶対に山菜摘みも自信がないので行いません。

地方では「一郎兵衛殺し」などの方言もある「毒空木(どくうつぎ)」や「ドクゼリ」、殺人事件でも登場する「トリカブト」など筆頭に自然界には動物や鳥に食べられてしまわないために何らかの「毒」を持つものが結構あるのです。日ごろ食しているものも調理などによって毒性を消しているなど多くありますしそれをあげていてもキリがないくらいです。

 

この1週間の報道にありましたが神奈川では「ヨウシュヤマゴボウ」なる毒性の植物が大量に河川敷に繁茂したり「カエンタケ」というキノコ界でも有数の猛毒キノコが特に西日本で見られるようになったと。

 

こういった自然界の「毒」を見分ける力というものも古くから生命維持に必要な知識だったのです。

食べられるものと食べられないもの(毒のあるもの)を判定できる目を持つことやその判定能力がある者を配下に置くことは特に大切だったでしょう。

時に毒を敵に与えて抹殺し、政を手中に納め入れるという手段とするようなことも・・・

 

①の画像は唯一ウィキからのコピー。

今、山中から人里や公園などに下りて来た「カエンタケ」です。真っ赤に燃えるような姿からその名が・・と思いますが触れただけで炎症が起こるそう。真っ赤に爛れるということですね。

ハシリドコロも量によっては死ぬこともあるようですが、こちらは致死量3gだそうです。

腹痛や嘔吐では済まない強毒性で摂取後10分程度で症状が出るとあります。存命しても後遺症も重篤と。

 

自分の体調不良の時を思い出し、相方に(食事に)「キノコ入れたろ?」と振ると「今年はもっと入れたるで」とぴしっと言われました。

病院の点滴でさえ何か入れられる時代、家庭円満が何より。

 

このブログをヒントに「何か」実行しませんことを一応記しておきます。

墓場に生えるキノコなどは喰えるものなどは無いように感じます。⑤⑥などか特になりヤバそうです。メルヘンチックですが・・・。果たして画像の中に食せるものがあるのかどうか・・・今山に上がればいくらでもありますねその手のもの。

 

①のキノコは猛毒、その他もまず「毒」でしょうね。

キノコは調理して火を通したとしても毒性は消えません。

また肉の部分は大抵白色ですからね。食卓にあげれば色味は判断材料になりません。

未だ秋になるとその手の中毒で病院に担ぎ込まれる人がいますが、私はかなりの強者、チャレンジャーと存じます。

 

最後の画像はお馴染みアケビです。こちらは道の駅で売っていたもの、懐かしくなって購入しました。しかしあの甘みには自然界の神秘というものを思います。

以前はヤマイモ堀りの際、休憩時間に採ったものです。