心の病みは社会の闇  加害暴走  事前止みが課題

早朝飛び込んできたあのニュースの件、その後一日中続報詳細が報道されていました。

前代未聞の惨事に思うことはただただその「異常性」。

加害者の事件後のツイッター等の書き込みが、「世界が平和になりますように」「beautifl   Japan!!!!!!」という結構これまで聞き馴染んだ語彙で、まんざらその手の語の裏に隠れた真理とは「やっぱり それなの ?」とい思うフシも無きにしもあらず。

 

しかしその手の言葉が記されていることに対して、一般人の思うことは当然に「支離滅裂」の語に尽きるでしょう。

私もまぁその傾向がブログに出ていると思いますので他者の事をどうこう言う資格などあるはずもないですし、そもそもその「異常」とは何なのかを説明しようにも「普通」というものの概念すら説明できない始末ですから軽軽に評することはできません。ただ「日本一」(負の)という「称」を冠する挙動だったと言えることはわかります。

 

犯行は凄惨で対象はやはり「ソフトターゲット」でした。

それも夜陰に乗じての日本古来からの夜襲の成果期待を踏襲して計画性と用意周到の心得はまさに適正な段取の選択、そして予測不能の有り得ない暴挙と支離滅裂の行動はまさに「不適」判断です。事は不特定多数ではなくごく特定的。怨恨の線もあることですが真実は不明です。

これから裁判へと進むことでしょうが、弁護側は精神状態の不安定から情状酌量から無罪を求め、検察は正常判断ができているということで死刑を求めるという図式が描けます。

 

神奈川県知事のコメントで「許せない!!」との談が耳に残っていますが、それはどなたでも思っていることであり、その言葉は安っぽくてあまりにも市民迎合的、あの知事さんとは思えない安直な語でした。

すると今度の現場訪問は「パフォーマンス ?」と思ってしまうのは私の悪い癖でしょうか・・・

 

それでは演劇指導といきましょう。

ここは感情にまかせず「知事としてここへ駆けつけたいという衝動に駆られました。こういった事案の発生は心が痛みます。知事としての責任もありますがこのようなことが二度と起こらないよう皆さんと一緒に力をあわせて取り組んでいく所存です」が適当なコメントだったように思います・・・

 

要は知事さんの言葉は全責任は容疑者にあって一個人の事件であるとの発露の他、何物も見えて来ないのですよね。

私は、この件は標記、現代人、特に若い世代に蔓延する「病み」、先日は「ルサンチマン」という語で記しましたが、これが社会の闇として潜在的にあったものが遂に「芽生えつつある」とその負の成長を感じてなりません。それはテロに直結しますから。

知事さんはそこのところまで踏み込んで「社会現象」としての今後の警鐘として自らの「対応したい」という政策の端緒を発言しなくてはならないところでした。

 

介護施設勤務者あるいは経験者の事案として続けての事件となりましたが、介護者の身体的ご苦労に加えて精神的苦痛も考えなくてはならないことが察せられます。

意思が通じ合えない障がいの方を常時ケアすることに従事している方の中に起こっている状態は「AS」症の人に対する「カサンドラ症候群」の発症状況にも似ています。

 

今度の件は被害者の皆さんそしてその家族の皆さんに向かってまったく言葉もないくらいで、できることはただ手を合わせるのみです。しかしこの件を容疑者一人の突発的変異ということで片づけてしまっては責任逃避と同じではないでしょうか。

ここは一つ、「私自身にも責任がある」という気構えで一つ一つを検証しなおして、再発を防止するにはどうしたらいいのか検討していくべきです。

 

「予測不能」とは記しましたが実は犯行計画の具体性書面は事前に彼は公表していたことが報道されていました。コレは絶大なポイントでした。

彼は書面に記されていたことをそのまま実際に行ったワケですが、裏を返せば「彼(容疑者)の悲鳴」だったのかも知れません。

報道によれば各所にその「悲鳴」らしき行動は現れていたようです。

 

何故にそのわざわざ知らせてくれた犯行計画を生かせられなかったのか、政治・行政というものに関わる人たちは大いに反省していただきたいと思います。

彼独りに責任を覆い被せて仕舞にしていれば次や次の次の同様な事案に発展することはわかりきっています。

それだけ社会の闇は奥深く陰湿なところまで陥っているのでしょう。このよう事件は昔はどこにもありませんでしたから。

若者の一部は今病みきっているのでは・・・?

それに早く気づいてあげることが肝心てす。

ただ彼を「死刑にしろ」の罵声をあげるだけでしたら物事の解決には向かわないかも知れません。

 

また一旦措置入院となった彼の退院を判断した医師に責任を求めることはできません。

強制拘束をする判断基準が曖昧の中、そのことが人権侵害となってしまうからです。何より民主主義の国ですからね。

拘束基準を軽くし、権限を強化すれば誰でもカンタンにしょっ引かれることになります。

それだけにこの「闇から出た病」の取り扱いは難しいのです。

 

画像は先週の満月の翌日(21日)とその次の日の様子。

最後の図は満月の二日前の様子。

一番大きな鉢の月下美人に何と10個の蕾をつけました。かつて初めてのことです。

同時に開花するものと思いきや22日に8個、翌日に2個が咲きました。放たれる芳香も楽しみですので玄関に入れたものです。

私はどうすればあの適当に一冬放置したままで、それも見苦しい葉にあのような美しく繊細で香しい華が、暗闇だけに咲き誇るのか不思議でなりません。

闇夜の中にも美しいものはありました。

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (水曜日, 27 7月 2016 14:25)

    凄惨な出来事にただただ嘆くのみです。
    いろいろサインが出ていたようで、
    あの時に止められたんじゃあないかと思ってもすでに過ぎたこと。
    これも定めと思うのはいけないことかもしれませんが
    犯人の両親の気持ちを考えるといたたまれません。
    でも もしあんな思想の人から相談を受けたらどうしたでしょうか。
    どう答えたでしょうか。親としてどうしたらいいのでしょうか。
    宗教家としてどう思いますか。(正解はありませんが。)

  • #2

    今井一光 (水曜日, 27 7月 2016 18:51)

    ありがとうございます。
    続報を見てますます彼独りだけに責任を押し付けることは不合理であると思いました。
    今回のことに対し何らかの力を貸すことはすでにもう不可能ですが、私たちはこれが
    まさに特異とはいえない社会現象とするならば、彼らが行動を起こす前に必ずある変化の兆しと「悲鳴」にも似た声を聞き逃すことなく対面するというスタンスが不可欠です。
    特に彼の両親の立場を考えるといたたまれませんが、もっと近くにいて何らかの形で手を差し伸べられなかったか悔やまれるところです。
    父親が教師で「(父のあとを追いかけて)教員になる」という夢があったといわれますが、これはまったく私と同じ立場でその気持ちはある程度はわかるような気がします。
    私は実習など行く前に早々に教師の道は放棄していましたが、彼の場合はむしろまじめに勤めていました。人間としては私などよりもよほど真面目な好青年のイメージですね。
    家族事情詳細はまったく不明ですが、その彼が教師の道を諦めた時期に家庭内での「何か」がすべての「人格崩壊」に繋がったきっかけがあるような気がします。
    そうなるとやはり彼は26歳の成人であり、刑法犯としての責任は負っていかなくてはなりませんが(心神耗弱も疑われますが)、家庭環境内部の事情まで問題をさかのぼって考えなくてはならないかも知れません。日本社会に深い傷を残した事案と考えます。
    彼らが何かの行動前に寺に参って話をしてくれるかはわかりませんが、私たちは本山はもとより、常に「聞く耳」は持っています。また私がお話しできることのポイントはまずは「自分を大事に」でやはり「自利利他」をお話しできればと思います。
    それによって何らかの指針を提示できればいいご縁だと思うのですが・・・

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