湿潤地に浮かぶ高台 浜松入野中学校 新野同族?

国民医療費が「破たんするかも・・・」というNHKの番組を見ました。「カネの切れ目が命の切れ目」という言葉も出てきましたが、果たして何故にして抗がん剤の価格が高いの?という疑問。

1回100万円~1000万以上までまたぞろです。

肺がんの末期にも効くという小野薬品という会社のオプシーボという薬が例としてあげられていましたが、その日の別のニュースで「キツイ副作用」について報じられていましたね。

 

その薬の価格は1回73万円(東洋経済)。年間で1500万円とも。

このほど保険適用になって肺がん患者は大喜びしたという経緯があるそうですが、そうなると「高額療養費制度」によって12000円/月までの負担で済んでしまうそう。

 

ということでこれからその医療費の大部分は国の負担になるため、予算増大が見込まれます。

そこで「費用対効果」(寿命・・・?命の価値・・・?)を考えて、保険適用については再検討しよう・・・というところからはじまってカネで命を買うという状況になりかねない社会についての警鐘が番組の趣旨のようでした。

 

やはり製薬会社の建前は「人のため国民のため社会のため」とはいうものの結局は「カネのため」なのでしょう。

やはり政治家のみなさんと同じことでした。もっとも彼らはまず「自分のこと」のみのように感じますが。

今に安価で効果ある免疫療法が確立して流布すればそういう製薬会社は淘汰されるのですが。

本当に「人のため」になる会社を応援したいものです。

 

さて、先日記した佐鳴湖の東、蜆塚遺跡の高台の南側辺りは外洋(遠州灘)が迫っていたといわれますが、天竜川の位置的変遷と各支流の流れから低湿地の地盤脆弱が推測できます。

その佐鳴湖の南側から西にかけて「入野」(いりの)という地があります。

 

その「入野」について「浜松市立中央図書館 浜松市文化遺産デジタルアーカイブ」から引っ張ってきました。

 

嘉永七年の地震

浜松西郊の入野村では倒壊家屋三十二軒、その他の家屋の大半が大破損し、堅牢とされていた土蔵さえ潰れるものがあり。

村民は仮小屋を造って二週間も寝泊りしたというほどはげしい被害をこうむった。だがその隣村の伊場村・西鴨江村・志都呂村では一軒の潰家もなかったという。

地震後、津波が起こっている。すなわち、翌五日晩七ッ過(午後四時)ごろ、南の遠州灘沖方暗くなり、海鳴はげしく、津波襲来するとて、人々は三方原の台地へ難を避けた。

浜名湖口の今切湊では二百間のところが、津波打ち寄せて七百間にも開き、宝永年間の大地震のとき打ち込んだ杭があらわれたという。

 

このように「入野」は特に水害と地震、津波への被害を重ねてきたという歴史があったのでした。

「入野」の地の語源は「入り江の台地」を想像しますが、その低湿地にある高台とは・・・現在の入野中学校です(場所はここ)。

 

先日菊川の小和田先生の講演会にて井伊家「藤原南家流が妥当」と仰っていたことを記しました。

実は今川家家臣団のうちに「入野氏」とい名があってそちらもその藤原南家(工藤)の流れであるという説が主流ですが、小和田先生は今川家臣団で御前崎池新田の一画、井伊直政の恩人新野左馬之助の「新野」はその「入野」とは呼び名がなまって漢字表記され、のちに読み方が変わった例であるとし、「同族であろう」という推測もあると仰っていました。

 

最後に記した河川(新川)の奥が佐鳴湖。中学校への登り口から撮影しました。

この川の名「新川」も「入野」に「にいの―にゅうの」のからの「新」であるとこじつけたくなりましたね。

この地は水害に重ねて、度々の大火の災禍も被っているようで「火伏」への信仰も強くなったという経緯があったようです。

高いところにあがれば佐鳴湖前景が見られるかと思いきや・・・ちょっとばかし無理でした。校舎の上に上がれば・・・の話ですね。