江戸期も半ばすぎ1700年代の後半から文化文政(1804~1830)頃になると社会規制はある中、旅の楽しみ(巡礼参拝が主)というものが庶民に浸透し、それに伴ってツアーガイド的出版物、名所案内が刊行されるようになりました。
当ブログの如く支離滅裂なものでなく、地域一貫性、現地取材ベースによる現状案内と歴史的考察、画像は鳥瞰図画像を取り入れていてとてもわかりやすい解説書でもありました。
当HPにて紹介している紀伊圀名所図会などがその一つですがこちらは文化九年あたりに記されたもの。
特に地図の如く挿絵を多く入れて場所を特定させ、かつその場の歴史事象を簡単に語るというスタイルをとっています。
挿絵が多いことから、見る楽しみが書に対する気軽さと親しみやすさを生んで当時は爆発的ヒットとなったといわれています。
そのブームのはしりが標記の秋里籬島(りとう)の文、 竹原春朝斎の画像による 「都名所図会」(1780)です。この書画のヒットがあったからこそ続けざまにその手の「名所図会」が発行されていったことだと思います。
特にこの文と画のコンビによる、大和・和泉・摂津・東海道の名所図会と続き、各所の後発組図会へと広がっていきました。
当時の風俗・習慣に呼称等どれもこれも興味が湧きますが、膨大な情報量でなかなかそれぞれを紐解いていく時間がありませんね。
とりあえず余程の時間があって「ふ~ん」という余裕で眺める程度でしたらその入門として「都名所図会」を手元に置いておくのも一案だと思いました。
書籍解説書等も出ていますが、かなり値がはります。
この手の資料的価値のあるものは概して博物館や各大学図書館でネット公開していますのでPCから簡単に閲覧することができます。
画像は「都名所図会」のデータベースから。
私はこちらを利用させていただいています。
①東本願寺の解説文と絵図。
②が夏らしく四条河原町夕涼みの図③解説文。
鴨川に沿って納涼床と夥しい出店が出ている様子がわかります。「芝居」小屋が三件ほど見えますが「仲源寺」とありますので今の南座を推測することができます。祇園新地とも読めますね。
昔からこちらが繁華街だったということがうかがえます。
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