お達し「一向専念無量寿仏」による救済とは・・

「救われたいと思い『南無阿弥陀仏』と心より唱えれば救われる・・・が親鸞さんの教えだったか」というテーマをメールにていただきました。

こういった問いかけはかねてより少なからずあったもので、坊さんとしては子供たちに対応する以外は相手の様子を見ながら、結構面倒な話をしていくことも辞さないところです。

 

小さい子に対する回答でしたら「そうです」で済んでしまいます。付け加えるとしたら「お父さんとお母さんと同じように手を合わせて称えましょう」です。

またその問いに適当な「どうでもよさ」を感じ取ればそれなりのお応えで場を濁します。

そのスタンスにはその理由もへったくりも組まれてはいませんが。

 

しかし実はこの問いかけに真摯に回答するかどうかは真宗の未来にかかわることであって私たる坊主の存続の意義まで深く掘り下げるべき、宗旨最大のテーマだと思っています。

それはそもそも・・・

①その無量寿国に生まれる(往生)という救済の効果は真宗第一義「一向専念無量寿仏と称名念仏」の最大旗印でありますが

②ややもすると念仏(南無阿弥陀仏)は「不思議な力(魔法の)を持った呪文」の如く捉えられかねず、また

③近代社会に於ける人々の思考の傾向は合理主義と個人主義であって②の捉え方が闊歩するようになれば、いよいよ当流はじめ仏教の衰退(無宗教の増加)を招いてしまうという危惧があるからです。

 

そういうことからこのような問いかけがなされた場合はとにかくも、私自身が「阿弥陀如来に見捨てられていなかった これこそが私への救いであった」と(勝手に)喜んで、お粗末ではありますが、私なりの考えをお話ししたり記させていただくことにしています。

 

これは親鸞さんの時代、蓮如さんの時代、そして現代の事情から勘案しなくてはなりません。

単純なその効果(称名一つで即浄土に・・・)を得られる理由としては仏説無量寿経の記述や「弥陀の十八願」(誓願の一つ)の解説、要は「阿弥陀さん(法蔵菩薩―東本願寺の紹介)がそう約束してくださっているから」ですね。

その紹介をベースにしている思想であることを告げれば事足りると思われるところですが、それのみで現代の宗教を解説するに通じがたいところがあります。

 

以前ならば「そうか、その約束があれば絶対なのだからひたすら心より(至誠心)称名しよう」ということでOKでした。

ところが現代は違いますね。そんな子供だましの説法では理解が深まるどころかより一層わからなくなってしまう状況に陥るというか坊さんとしては無難な回答であり実はその本来の疑問に応えていないですね。

今一つ踏み込んだ丁寧な理由がなくてはなりません。

そこで私なりのいつものように勝手な解釈をさせていただきます。

 

親鸞さんの称名念佛での往生の約束のその意図とはいわゆる「ポジティブな変革のメッセージ」を手っ取り早く伝えんがためだと思います。

時代背景としては

戦乱期にあって明日の命もわからないような仏教的地獄世界が目の前に広がり、自分の思う期待とは相反する世界に生かされているという無常感とそこからの逃避願望が人々の心に満ち溢れていました。

そこでこれまでも仏教界に僅かにありましたが浄土思想に脚光が当てられつつあったのでした。

平安期に繁盛した阿弥陀如来による救済(来迎思想)はあくまでも

①限定的、選ばれた者(高貴・富裕・男女の別-男のみ)だけの浄土

②修行難行を繰り返すことができた者だけの浄土

 

であって本来あるべき均一性(平等施一切 同発菩提心)を持った「民」のための浄土ではありませんでした。

 

中国善導大師から本邦浄土信仰のさきがけとなった源信僧都―源空(法然上人)・・・、誤解を招くおそれがありますので付け加えますがこの三者は当流親鸞聖人ご指名の善智識、七高僧のNo.5~7ということで記しました。その他空也上人一遍他、浄土教の各祖師がおられます。

 

民のための浄土への約束のハードルの高さをその三者は徐々に下げて行ったのですが解釈によって最大限に下げたのが親鸞聖人だったわけです。

そうは言ってもそれまでの発想とは真逆という感覚が沸き起こることは致し方ないところ。

そこを親鸞聖人は、「一念の称名念仏で浄土往生が約束される」と、まずはわかりやすくその「効果」を掲げたのだと思います。

 

いわゆる絶望世界に於ける「救済キャンペーン」ですね。

当時は勿論親鸞聖人のその恩恵の理由の示唆はあったでしょう。また人間の信心への質の変遷があって当時の日本人には現代人には理解しがたい自己認知力を保有していたのかも知れません。

 

そうですね、騒乱の時代はその後も果てしなく続き、戦闘は武士たちだけでなく、農民婦女子を嫌でも巻き込んできました。

そこに出た蓮如さんが、その親鸞聖人の薦める「一念による浄土」を爆発的にヒットさせていったのですが、その蓮如さんこそ「ただひたすらに、理由も考えることもなく」と特化収斂させていったのではないかと思います。

いよいよ人々の心は安楽に向かい(「厭離穢土  欣求浄土」的)、浄土へのショートカットを模索している中、その単純明快さは大いに民衆にウケて瞬く間に浸透していったのでしょう。

蓮如さんの段階ではそれを解説するにさらに深い理由を求める人はいなかったことも考えられます。

 

今の私たちの浄土真宗は蓮如さんの御文によってその理解を深めていこうという歴史があり、当然に蓮如さんの思想が前面に押し出されています。御文を俯瞰していくに全体的に思うことはほとんどが断定的であってとにかく理由などどうでもいいから「如来におまかせ」して念仏申して「仏になる」こと、開祖親鸞聖人の言葉のさらなる念押しでした。

 

その蓮如さんの考えは案外、少々真宗をかじっている者には理解はある程度進みます。「理由は経典の通り」であるので省略しての誘導はまさにその理由はその通りなのですが、前述したように現代人の特に若い人たちにとってはまず「理に適っているか」を思索しますので、その導入にはより丁寧さが必要になりますね。私はこれはこれからの真宗のテーマだと思っています。

 

ポイントは開祖親鸞聖人の念仏の概念とは何だったかでしょう。親鸞さんの称名念仏は「非行非善」(歎異抄八)の強調があって、自力を離れる(他力)というテーマがありました。

その名の通り「無量寿仏」(阿弥陀如来)の「無量」とは「量らない」「こだわらない」であって一言で「まかせる」です。

その「他力」を解説すしていくところに真宗の哲学的深みがあると私はこの宗旨に自分ながら満足感を得ているのです。

さらにこれを考えるに、「私とは何」と少々飛躍ぎみな考えが生まれてきますね。

 

そこに私という主たる立場があって「他の力(阿弥陀)」に任せている私があるということを実感します。「他の力」は実際に肌でもって感じ取ることができないように思いますが実はこの阿弥陀の力はさらに他の力をもって私という存在に関わってこようとします。その力が私の周囲、「今」の横に繋がるの事象の数々です。

まず家族から始まってたくさんの人々、生活のための寝食に関わるすべて、私の今を包む時間と自然のすべてです。

思考するにそれらは常に私を照らしだしてくれる力のように感じることができます。

それでいて私は常にその「おかげさま」を真に感謝の心を感じているかは疑わしいものもあります。もしかすると「当たり前である」という傲慢な気持ちも芽生えたりするものなのです。

 

そこのところ、もう一つの他力ともいっていいかも知れません、私の化身(これも阿弥陀さん・・・)を、後頭部の上部(50㎝くらい)のところに描いて自身を俯瞰する作業を行います。

心からの称名によって描かれて仏となった私の化身は今の私に向かって「おかげさま」の心を発露させます。

 

「煩悩具足の凡夫 火宅無常の世界は万(よろず)のこと~」(歎異抄)に生かされる私にその念仏は今を生きる私に対して色々な「気づき」を与えてくれるのです。

それが感謝であり反省です。

 

付け加えますが、親鸞さんも蓮如さん(後生の一大事)も一見したところ死した後の浄土往生を連想させますが、実は往生の機縁のタイミングこそ「今」からの一所懸命にあるということは言うまでもないことです。

 

その答えというものを得ようとすれば、「今の私を仏の心境に導いて、人々の中で生かされている自身の存在を見つめ人間本来の持つ、生命の尊厳と他者、生きとし生けるものとの関わりに感謝して一所懸命に今を生きようという『気づき』こそが浄土である」でしょうか。

よって念仏、「南無阿弥陀仏」を称える際は、その意味を心より深く感じて(「南無」は「帰命」と同様「おまかせする」の意)「称名しましょうね・・・」です。

そのような観点からして称名念仏すればそこに「救い」が発生するのだというのが私の考えですがいかがでしょう。

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (火曜日, 28 6月 2016 09:12)

    久しぶりにお寺らしいお話ですね。
    その通りだと思います。
    ただ日々生活に追われているものには宗教などと言ってはいられません。
    ちょっとしたときに思う安息を「与えられている時間」だと思うだけです。
    親鸞聖人は日々の生活の糧をどのように感じていたのか。日銭のことを考えなくて過ごしていたのか。優雅だなー。などと思うこともあります。

    長谷川君の所へ行って写真を見させてもらいました。
    そこに小山竹蔵が出したハガキがあるとは思いもしませんでした。
    お寺にあった写真と言い、今回のはがきと言い、不思議なことです。

    朝から晩まであくせく働く者には、時にはそこから離れ考えさせられる時間も必要です。

  • #2

    今井一光 (火曜日, 28 6月 2016 12:43)

    ありがとうございます。
    親鸞さんほか当時、お山から降りたての僧は乞食僧からのスタートです。
    現代のように物が溢れていない時代にあっても基本は「足るを知る」ですね。

    私のようにあれもこれもと頭を悩ます愚(「心配」)は無かったはずです。
    それは法を説き最低限の「食」を施していただく毎日だったと思います。
    むしろそれこそが命がけであり、その中で他者とのかかわりの中に自分が救われている
    という実感を抱いたことでしょう。