多様性か拒絶か  世界の風潮   そら恐ろしい

今の世界の「二者択一」は多様性融合か排除かの2点に集約されているように感じます。

特に流れとしては前者、戦後世代としてはそれを教訓として「多様性尊重」が叫ばれていて将にそれが世の主流と感じていたところでしたので、昨今の後者、「排斥」思想がこれまで頭をもたげているとはかなりの驚きでもありました。

 

代表的な直近の事案でいえば英国のEU離脱、米国のトランプ氏的強硬論、そして身近なところでは、日本国内で相変わらず減らない差別的言動と思想的に意に反する者への「反日」言動がそれです。

 

6月23日の国民投票によって「英国の件」はどちらかに収まるのでしょうが、そもそも英国が欧州連合からの離脱の一番の理由に思うことは今、欧州で頭を悩ませているアレですね。

「移民・難民の受け入れ」分担の件です。要は経済的負担とテロ惹起の危惧が国益を損なうということですが、これは「損することはゴメンだ」の主張にほかなりません。いわゆる、これまで溜め込んでいた金融資産や確立した福祉、文化を他流(多様性)によって侵害されたくないということです。

 

なるほどかつての世界に君臨した名士、紳士の国にとってその件は譲ることができない第一線であることはわかりました。

私はこの件「意外だな・・・」と感じるのは・・そのことが世界に発信した結構なその国の「器の小ささ」ですね。もしかすると「ケチでセコイ」とも思われかねない狭量さを晒してくれました。

島国だから仕方ないだろ・・・とはシャレの部類。

 

面白いと思うのは離脱反対派の論もまた経済的損失の主張ですね。「なんだ両方ともカネかよ」というところです。

もっと面白いのは日本の政治家の皆さんの談、欧州から見れば遠い遠い地球の裏側の世界の政治家の中では些末ともいえる人たちがこぞって「離脱反対」を述べているようです。

英国人の決めることに外野から遠吠えをしたとしても無意味なことですが、それらの人たちの持論も専ら経済の話。

「離脱したら世界中の景気が・・・」という風のネガティブ意見が述べられていますが、そもそもその手のコメントは地球の裏側の辺境地日本での、殆どオフレコの様なものですね。

 

なぜにして日本の政治家が本当の意味でその離脱反対の件に一石を投じられないかといえばそれは「移民・難民の受け入れの分担を負ってくれ」と言われかねないからです。結局この島国も英国と同じ理由をつらつらと述べなくてはなりませんし、「器の小ささ」を世界に晒す事になるでしょうから。

「経済的負担とこれまでの文化、社会福祉のシステムの負担増に重ねてテロ惹起の危惧が国益を損なう」との理由での拒絶がなされる事は今の調子ではあきらかですね。おそらくこの件、何も決められないでしょうね。

 

米国では奇をてらった言動で当初は泡沫候補と思われていたトランプ氏が「マジかよ・・・」と思わせるほどの怪進撃を続け、ついに大統領に選出されるかされないかの「どちらか」のレベルまで上り詰めました。「壁を作ろう」から「摘み出せ」が主たるキャンペーン語録。

一昔前の常識では100%「ありえない」ような主張が米国民の半数近くの人たちに支持されているようになったということはもはや米国は絶望的域に入っているのかも知れません。

一言で「自己愛性人格障害」(政治家にありがち!!)とも言われる人を果たして米国は選択するのでしょうか。

 

私はこの2つの事象の判断は、勿論英米の国内事情ではありますが、地球という人間世界の発展成長に伴って挫折を繰り返しながらも培って学習してきた「協調」「融和」という発想を切り捨ててしまうのか、維持して研鑽努力していこうという課題の元に歩み続けていこうとするのかのターニングポイントとなるのではないかと思います。

 

一歩譲って経済発展には多様性の容認は欠かすことができないということ、それがこれからの世界観だということに気づいて欲しいですね。

もはや、経済的に強い国の人々が経済的弱者を食い物にするが如くの格差を無視することはありえないのです。

 

以前供華にいただいたアーティチョークの花。

そちらの御宅の花が咲くというのでちょくちょくうかがっていましたがこれまでの花と咲き方のイメージを一変しました。

咲き終わりはあの鮮やかな青紫色は徐々に退色し茶褐色になって枯れていきます。花の命をしばしば人のそれに喩えられることはこれを見ても頷けます。