知らぬが仏?嫌味に感じたら失礼  藤枝薮田地区

「知らぬが仏」の「仏」とは①仏像の如く黙っていてくれる人

②仏の如く鷹揚にまた半跏思惟の弥勒の如く静かに見守ってくれる人・・・のどちらかでしょう。

まずはその相手の「事実を知らないという事実」を自己の有利に導こうとするありさまを殆どその知らない人のあざけりを形容する言葉です。文句を言わない仏でいてくれることはバカにしつつも有り難いことなのです。

 

大抵それは権力者や特権階級の者などが国民、小市民に向かって吐く言葉ですが、中には商売上、売り手が品物の瑕疵等を隠蔽して売りつける時にも使われるか、または第三者的に見てそのような状況と判断できるケースがあります。

 

たとえば昨晩の「北朝鮮が弾道ミサイルを発射する兆候」というニュースです。

そういうことで防衛相は「市ヶ谷の防衛省敷地内に地対空ミサイル「PAC3」を展開した」との発表。

その兆候の理由は知りませんが、何か凄いタイミングを感じます。

大方の予想通り消費税再増税が延期されたワケなのですが、そうなれば誰もが考えることは「福祉への財源欠乏」ですね。

 

まあ小国民の私としてはその方向への財源であるならば増税もやむなしという方向に行き着くことはできますが、とにかくその前に大前提として、増税する側(政治家と役人)の節約を実践してもらわなくてはなりませんね。

そういう雰囲気の中、都知事「舛添」殿の姑息で破廉恥な政治資金の流用と地位へ執拗な粘着願望見え見えの見苦しすぎる様態はもはやあの手の連中の自浄努力を「期待しても無理」の雰囲気が「ますます」蔓延しだしました。

 

そうなると、福祉財源の確保については、そのまま放置するか他から持ってくるかになりますが放置となれば世論は黙っていないでしょう。そこで国民が考えることは・・・「過去最高」とはやされた防衛予算の4兆9800億円という数字に目が行きますね。在日米軍の維持経費と国内武器産業を潤わす数字です。

ちなみにこの間のサミットは600億円の演出とサービスでした。

 

ということで今回のミサイル防衛のアピールは「経費削減したら国民は守れませんよ」の意思表示のような気がしました。

ただしそのアピールも「トーキョーを守る」だけのような気がしますので「国民」の殆どはその「防衛」というものの利益は受けられないということになりますね。ポーズだけの様。

 

以前にも記しましたが、彼の国の将軍様もその、より一層の効果を期待するのでしたら迎撃ミサイルが待ちまた、被災も限定的な防衛省付近よりも近くて目標にしやすい日本海側の原子力発電所狙いになることは当たり前の事。

 

逆にそちらへ迎撃ミサイルの配備をするとなれば、今度は原発の危険性が国民に知れ渡ることになりますのでマズイことです。やはり「できやしない」と腹を決めているのでしょうね。

どっちにしろ「やれない」と踏んでいることなどでしょうがそのあるのかないのかわからない危険性を小出しでアピールしようとする姿もまた姑息な気がします。

 

さて、先日のお斉で藤枝在住の方から伺った話を含めて。

ブログでも時々記している「古い字(あざ)名は見えない歴史の示唆」という話になりました。

これを考慮せずに家屋等を建設したり財物を移すことはタブーであって、「あとから後悔しても既に遅し」の状況も多々あるという現実、目にしています。

 

藤枝といいますと、海に面していない東海道線沿線の町。

静岡県内でも数少ない人口増加率ベスト3に入る自治体で静岡県人であればだれもが羨むほどの「今いよいよ盛ん」な地ですね。

 

藤枝の城といえば田中城

「益津」(旧益津郡)という地です。城は戦国期の代表的な平城でした。思うに戦国期の平城というものはなかなか珍しいものがあります。

そこに籠城方がその防御の要として期待した地形といえば勿論、泥田の湿地帯に河川ですね。

意外なことですが寄せ手が攻め辛く手を焼く城というものは山城よりも「泥田に浮かぶ平城」という傾向があったと思います。

天険の要害より泥田は守りやすいという結論。

低地であれば水の手(そもそも水の中にいるも同じ)を切られる心配もありませんし、付近からある程度の食物(水生動植物)も採取できるでしょう。

 

そのように藤枝は海からは少々離れているものの、その地形成形の主たる要因は大井川の気まぐれ蛇行の歴史があります。

対岸の吉田町の小山砦が諏訪原城よりも防御性は長けていたことをブログでも記しましたが、その大井川蛇行によって形成された砂洲に沼田の湿地帯が形成されていたことが理由です。

古代は牧之原辺りまでその大河の幅はあったともいわれていますが、現在の流れより藤枝焼津寄り(現栃山川)に流れていた時もありました。

 

そのような理由から藤枝は丘や台地(河岸段丘)を背にした平地で一言で言えば砂洲上の湿地帯ということになります。

蓮華寺池公園など人々を癒す公園が整備されていますが大小の湖沼が存在していた低地です。

 

ここで大雑把に田中城付近以外の地名から「何か」を連想できる場所を勝手に羅列してみると・・・五十海・泉町・稲川・潮・内瀬戸・大洲・鬼島・上薮田・中薮田・下薮田・瀬古・瀬戸・大新島・高洲・滝沢・築地・平島・水上・水守・・・等、結構水に関わる地名が残っていました。

これら「水に関わる地名」の羅列は私のこじつけと思って適当に流していただいて結構ですが、あのお斉の際にうかがった地名は藤枝市「清里」という地名でした。

 

聞くところによればその地名は新興住宅地の新地名のよう。

まぁその語を耳にすれば知らない人はどこかの清涼な避暑地のイメージですね。いわゆる地名のキラキラネーム化でしょうか。

 

この新興住宅地の件は地元では結構有名なお話で、開発されてから時間も経ていることもあって現住の皆さんもある程度ご承知のこととは聞きますが、最近の地震被害の様子を目の当たりにしてあらためて不安をこぼす人が出てきたとのこと。

 

上記羅列した地名に上・中・下の「薮田」(藪化した湿地?)がありますが、「後背湿地」地形というジャンルに属していて、「表層地盤増幅率」でいえば結構高めな液状化率(ブログ)。その数値もあまり反映されていないのでしょうが、まさにそちらにあった沼を埋め立てて分譲した地とのことでした。

大手のミサ〇ホームが現在も分譲していて特に若夫婦世代に人気とのこと。

みなさん元々は藤枝の人ではなかった人が多いそうで、付近の古くからのしきたりや、神仏の護持のための運営費等の徴収に行けば、「かかわらないでくれ」とけんもほろろだったと仰っていました。

 

その方から聞きましたが、あの沼はタチが悪く、埋め立ての際、重機がハマり込んでからズブスブと沈んでしまい、それを諦めてそのまま埋めたという噂が語られているようです。

腐食して空洞化すればそれだけで沈下の要因となりますね。

 

新しい地で家を購入する場合は現地調査は怠りなく。私の持論はセールスマンの言う事よりも「地元古老に聞け」ですね。

「人と関わりたくない」という気持ちは今風ですが、その感覚が後悔を招くのです。

 

画像②の赤枠が「中薮田」その区画に囲まれた地域が「清里」です。見たことはありませんが50年前の航空図を連想できる地形です。③は現況。

 

蛇足ですが、知事の「舛添」姓の出典地名は不詳(まず姓を見ると出身地をイメージしてしまいます・・・)です。しかし「舛」という字は計量器というイメージではなく「錯乱」「誤謬」を意味する語とのこと。

計量器の誤魔化しは領収書の偽造?と洒落て考えましたが(名は体をあらわす)なるほど・・・と合点がいくとはこのことです。

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コメント: 2
  • #1

    誰だろうさん (水曜日, 10 8月 2016 05:13)

    藤枝の清里は海からは遠いですね。
    高速道路にパイパス、薬局にスーパーなどもあり、不便は日頃はあまりないです。
    凄い高額の土地と家かといえばそうでもないですし。ほぼ60〜70坪(5〜600万ぐらい〜)の土地を何個買う?という感じの土地と、パッと見は家だけではほぼ3000万〜4000万台ぐらいの家が立ち並んでるような感じの地域ですね。ここ3年ぐらいで結構住民が増えました。
    そこの住民です。

    住んでいて感じるのは、「清里オーナーズガーデン」という地名が不満なことでしょうか。その為かプライド高い人間がいて人間関係があまり宜しくない。あなたの文章にあったように「かかわらないでくれ」といいますか、清里は他の地域と比べて住民は増えて子供がいる家庭も増えているのに対して行事が少なく、子供会では子供の人数が100人ぐらい。子供会では役員同士で喧嘩。役員から近所でいじめを受けて泣く親なども出てきている、気にくわない家庭の悪口大会で仲良く出来ない様子です。町内会役員とも住民がうまく仲良く関係が築けてない為、物事を勝手に役員の中で決めてしまったのが原因で勝手に決めるな許せない!というような住民から役員へ何年か前に問題があって、回覧板で「匿名でこのような意見をもらいましたが、どう思いますか」のような住民へ意見を求めるような内容の回覧板がまわって来たことがあります。人間関係に関してはこの地域はそもそも良いとはあまりいえないと思います。平日の昼間ですがここの地域はあと物騒でガランとなります。若い共働きの家庭が多く平日一気にいなくなるので気になります。今、若い世代の方がたくさん清里へ越しては来ておりますが、一気にガランとなるので昼間自宅にいる方とは仲良くされた方がいいかと思い声をかけましたが隣同士で仲が悪い様子で、近所で嫌がらせをされていたり悪口を言われているからあの家庭が昼間留守をしている時に、あの家庭の庭に勝手に業者の人間が入っていったけどあったけど隣には言ってない関係ないし仲良くしたくないし関わりたくないなど言われたことがありますが、近所の人間同士が仲もあまり良くないようです。

    そうですね沼地。
    家が傾いて駄目なら、生きていれば他の地域に移動して新たに生活すればいいかなと思ってます。もともとここはこのように人間関係はあまり宜しくない地域なので。
    清里の地域の土地と家は高いかと言えばそうでもなく、福島県のように津波、原発事故、などが起きれば家はハイリスクなのを知っていてその上で購入するわけですからそれなりに我が家はローンしないように購入しております。他の家庭は3年前程に、35年ローンで購入したと言っておりましたが我が家も3年程前にこの地に越してきましてあともう少しでローン無いです。何かあればあとは家を捨ててひとまず逃げて(特に盗まれて困るものなど置いてはないので)、ある程度したら家は潰してもらって生きていたら新たに他で暮らそうかなと思っています。そのぐらいの余裕がないと、正直建てられないこの地にです。

  • #2

    今井一光 (水曜日, 10 8月 2016 11:01)

    ありがとうございます。貴重なお話しをありがとうございます。
    人と人との関わり合いを疎遠にしあくまでも「マイペース」重視の姿勢は
    現代の若い世代の共通した考え方で、これもわからないことでもありません。
    これは今の都会の生活から伝染したもののようで地域特定のものでもないような気がします。しかし、地域の共通した諸リスクに対面するにいかにもその関わり合いを持たない閉鎖性は脆弱性を露呈しますね。
    ついつい戦前的感覚、監視社会からの解放という自由と個人主義の成熟の証でしょうが、人間というものの醜さも垣間見えてきます。
    かといって会合に出てみて各主張の交錯に罵声とひそひそ話が飛び交うような場であったとしたらやはり「関わりあいたくない」と思ってしまうかも知れません。
    地域で自分を生かしていくには隣同士が協力しての生活がベースとなりましょう。
    ただし、日本の国を見ているとお隣同士の国に限って仲が悪いようで、このことはその「性」のようにも感じます。

    それにしても3年で殆どローンの完済とは羨ましくまた素晴らしいですね。
    私も偉そうな事を記しましたが、震災等天変地異についてはいつもびくびくして怯えています。