アーティチョークの供華 その後食べちゃった

昨日法事後のドタバタ。

法事後のお斉(食事会)について私は出席者からは終了後「〇〇に行く」とは聞いていましたが施主様からは正式なお誘いがありませんでした。

 

法事のあとのお斉の有無は施主判断です。親戚一同に一席振る舞うか、お斉自体を省略するか、簡略して適当な食事会程度の会食を持つかは色々です。そして坊さんに声を掛けるか掛けないか、それも色々。いつもはお斉があったとしても今回は無しなどということもあります。

 

事前に打診いただくということが慣例となっていますが、先方でも席の予約に関わりますのでそれは重大なポイントです。

ところが、その法要の施主様からは今回私は何も告げられていませんでした。

 

声がかからないということは「これで法事は無事終了」の意味で昨日の閻魔大王ではありませんが、「坊主の出る幕無し」ということになります。

もし私が逆の立場でしたら「面倒くさそう」「ウザさ満点」の坊さん(私はきっとそう・・・)を呼んで気を遣わされるよりも、身内でざっくばらんの会話を楽しんだ方がよほど故人の功徳になると思うかもしれません。

 

ところが一同が境内を退去して宴会場の座に着いたあたりから「坊さんはどうした」ということになっていたそうです。

慌ててお迎えが来られて即座にその場に向かい、用意された席に着いたというわけですが、30分近くお預けさせてしまったようでバツが悪いものがありました。

 

私は「招かれざる客だった場合、果たしてどんな顔をして着座していいかわからなくなりましょう」といってへらへらといつもの笑いでその場をしのぎました。

 

その際、思いっきりそちらの縁者に皮肉を言われたのは、電話帳に拙寺の掲載が無く難儀したとのこと。

ブログのどこかでも記しましたが、拙寺は見え見えの寸借詐欺や面倒なセールスの電話が頻繁にかかってくることから電話帳の掲載はやめてしまいました。

 

ホームページにはバッチリ記していますがそれを伝えて何とか「検討します」ということで許してもらいました。

しかしどう叱られたとしても、電話帳という「アナログ」アイテムは詐術・セールスの基本データベースの如し。それへの掲載に関しては二の足を踏むところです。

時として不便も感じますが次回今一度その点を世話人会と回覧で告知して今では誰かしら持っている「スマホで検索」を推奨しようと思っています。

 

一般家庭への煩いセールスや詐欺電話が面倒に思ったら電話帳掲載削除を依頼しましょう。どうでもいい情報はカットするくらいの気持ちは必要ですね。電話帳へ掲載するということは、即ネット上にも晒すことになりますので、相当厄介な事になりますね。拙寺の場合は対不特定多数の場合はHPを見なければわかりませんのでランダムで検索した流れの中ではヒットしません。

 

さて、先日檀家さんから「アーティチョーク」なる植物というか果実を頂戴しました。これ「食えるよ」と言われましたがよく見ると蓮のようにも見えないことはありません。

ということで一旦供華としてお飾りして、しばらくたって「おさがり」としていただこうということになりました。

 

おさがりの方は殆ど食べるところなしの中、ポリポリ新食感を味合わせていただきました。この食文化は渡来したもので、比較的歴史があるようです。詳細は「アーティチョーク」で検索を。