「西」と「東」といえば・・・お寺の名前 東光院

浄土真宗の寺院でいう「東」と「西」の感覚は、江戸初期に分流した本願寺を思い起こします。我ら門徒世界では通称「お東」とか「お西」で通じてしまうくらい何気なく使う言葉でもあります。

これは2つの本願寺の存在が東と西に対照的に両立しているという意味ですが、ただ単純に位置関係のみで語れない意味深があったわけです。

その分立の経緯は以前記しましたので割愛(秀吉の輪廻転生ライン)。

 

「本願寺」の通称となる「東西」の方角を示す言葉には別に仏教世界では意味があって、各寺院の名称に使用されていることもあります。

私如き浄土系真宗系オンリーの仏典をかじっただけの者が言うのもおこがましいことですが、その寺院の名に「東と西」の文字が入っているだけでイメージすることがあります。

 

これもどちらかで触れたことがありましたが、太陽の動きです。「西」といえば「日没」であり「東」といえば「日の出」です。クエンティン・タランティーノの「フロム・ダスク・ティル・ドーン」なるハチャメチャ映画がありましたが「日の出から日没まで」のいわゆる「夜」(=死)については、その存在について漠然と意識はするものの、とりあえずは日輪の動きを人の一生になぞらえたイメージでした。

熊野曼荼羅に描かれた「日輪」もその手の感覚でしょう。

 

そして古くから東といえば「誕生」、西といえば「終末」を意味してそれぞれのその機会について意味する「仏―如来」が薬師如来であり阿弥陀如来でありました。

それぞれ東方浄瑠璃世界(瑠璃光如来・薬師如来)と西方極楽浄土(阿弥陀如来)を表わしています。

 

その仏は日の「光」としての表現をしばしばされて「東光」や「西光」という言葉になることがあります。よって世にある東西の方角を表わした文字が含まれる寺院名称を見て、寺の宗旨や御本尊が推測できるのです。

 

大雑把に「西」が付けば浄土系で本尊が阿弥陀如来、「東」が付けば密教系~各各で本尊が薬師如来というところ。

近隣では牧之原の「西光寺」というお寺が真宗寺院で、勿論阿弥陀様、私の知っている渋川の「東光院」が禅寺で薬師如来でした。

 

昨日も記しました渋川交番の前にある渋川井伊家墓域の管理をしている寺院がその東光院です。

墓域には井伊直親の墓石がありましたが、こちらのお寺の本堂裏にも古い墓が並べられた場所があり、なぜか井伊直親といわれる墓があります。

墓石は上部は宝篋印塔型で五輪塔形式。崩壊個所ありますが小振りで安定感があり苔生した姿は墓域では周囲歴代住職の無縫塔の中にあって一種抜きんでたいでたちです。

 

交番前の墓域は渋川城にあったものを集積したといいますが、そちらから東光院までの距離はほんのわずか(場所はここ)。

これだけ近い位置にあって同じ人の墓があるということは、井伊直親その人への思い入れが一層強い・・・寺院菩提主催者という感じがします。

ちなみに復習しますとこの直親という人がいわゆる「遠州忩劇(そうげき)」の代表的ドサクサに翻弄された人生を送った人です。

 

「井伊直親」でググっていただければ状況は手にとるようにわかると思いますので・・・。

要は来年の大河ドラマで直虎を引き出すための最大の導入部分となる悲劇の中でもより悲壮な人生を味わう人でもありました。

 

東光院近隣で耳にしましたが、その裏山もかつて「城山」と呼んでいたとも。興味あるところです。