通字 (  諱 いみな )の上下に深い意味?  井伊

本日は本堂メンテナンスの日。

毎年5月初旬はこの地区では白アリの羽化が集中します。

私は液体の薬剤の噴霧と煙のバルサンを併用していますが、効果が出ているのどうかはわかりません。

白アリの発生個所があればまず、私の作戦はまず畳をあげてチェック。縁の下から這い上がってくるルートを確認し、床板にランダムに直径5cm程度の円形の穴を開けて、薬剤噴霧器のノズルを突っ込みたっぷりと360°かけまくり、1日おいてから、石灰をこれもたっぷりと。

石灰は5cmの穴ではそう広げることはできませんが縁の下で徐々に拡散されることを期待して撒きます。私は石灰での防除は効果があると思っています。

 

穴あけは電ドルに装着できるサークル用のカッターを使用します。散布後、切取った〇の縁にシリコンを塗ってからガムテープを貼って元の穴に戻して塞ぎます。

1日おいてガムテープを剥がせば完成。畳を元に戻しておしまい。

ガムテープはそれ無しで行えば穴の中に〇が落ちてしまいますので。

 

以上は縁の下の閉鎖された庫裏や会館の処方。本堂は床下に空間がありますので腰痛は辛いですが結構作業しやすいものがあります。

ということで本日は「白アリがいた場合用」、羽アリの飛翔を阻止するための作業をしました。

オマケに北側の水盤と側溝の掃除に掛かりましたが、そちらの方が関節痛、痺れました。

 

さて、先日は小和田哲男先生が会長をする「静岡地域史研究会」への飛び入り参加について記しました。

その中で私は存じ上げない方のお話しをお聞きしましたが、その方は何冊かの歴史書を執筆している方のようで、今気になっているところは名前の「通字の上下について」といいます。

 

通字とは、同系統(血縁)で「諱」の中で特定の字を共有する習慣のことで、たとえば織田家だったら「信」、徳川でしたら「家」ですね。

拙寺代々でいえば法名の「」です。お恥ずかしいことながら私は今「愚楔」などと適当なことを言っていますが、収まるところは「釋祐光」になると思います。

 

15代中、初登場が成瀬藤蔵正義の息子の「釋祐傳」(3代目)であって初代と2代そして4代が違う名。そして5代目からずっと「祐」が使われています。

 

その先生の指摘は井伊家についての通字「直」についてでした。「通字が上にあるか下にあるか」によって「本流・支流の区別がある」のでは・・・?ということ。

それは血脈の微妙な変化を表わしているということですが、私の通字に関する考えは、それほどその「上下に意味はないのでは・・・」と思っています。

 

突然通字が出現する場合は何らかの転換があったことを示唆するということはわかりますが~拙寺の3代目「釋祐傳」は家康の後ろ盾があったため特別な人物でありその人からの新たなスタートということもありましょう~通字の使用が上下の違いに違和感はないような・・・。たまたまですが拙寺では「祐」は上に付けることが多く、「祐」付き12名中(他の兄弟でも祐付きあり)、下に付く人は1名のみです。

 

ざっと見るに、「語呂が良くて呼びやすいかどうか」程度の銘々としか考えられません。特に法名の銘々をあずかる身として、指定の一字を依頼されますが、上か下かなどの基準は意味・解釈90%「語呂と呼びやすさ」が10%です。

はっきり言って「通字使用不使用」「通字上下」に意味はないのではと思っています

 

井伊家は共資―共保―共家―共直―惟直―盛直・・・と通字「共」から「直」への変化が惟直から始まりますが、どちらかと言えばこの辺りの微妙な変化の方が面白いところだと思います。

 

画像は小和田先生後援会2題のお知らせ。

 

①5月22日(日)1400~1630

「明智光秀の真実 幻の天下人」 福知山市厚生会館

②明智家の通字も「光」。

③6月15日(水)1800会場 2000円

「井伊直虎とその時代の菊川周辺」 菊川文化会館アエル