ごめんなさいと褒め言葉 きびきびした動き

なかなか収束に向かわない九州の天変地異の今と、これからが不安でなりません。

大混乱の中、命にかかわる「偶然」というものに翻弄されるあの地の方々の安息を望んでやみません。また派生する余震に次の断層崩壊への心配もあります。

早晩その列(おにぎりと水そして被災の流れ)に並ぶことになることは当駿遠の人たちはちゃんと心に入れていますし彼の地の今を「私たち」の事として見守らせていただいています。

 

しかし、本当は日本中何処であっても同様の危惧はあるとのこと。日本人すべてに突き付けられている事と、実は古くから日本人が抱いていた人智を超えたものへの畏怖をあらためて思わされます。

 

今度、国政の政治屋稼業たらん某が今回の九州を襲った地震について「大変タイミングのいい地震」と仰っていました。

まぁ「本音」というものを腹の中に包み隠さず「出す」ことは悪い事ではないのですが、その発せられた「本心」―ご当人はあとからおそらく「はっ」として気づいたか指摘されたのか訂正しているようです―は悪辣な計らいの元に発せられたということは明白ですね。

 

要は「自らの主張を通すチャンス」であるとの内輪向けの叱咤だったようです。

まぁあの手の職種の増長した人の腹の中は「そんなもの」であることくらいは察しがついていましたが、まさにこの日本全体の苦難に際してのこのセンスは「何をかいわんや」です。

見苦しいを通り越して、流行りことばとなった「下衆」―「ゲス」の一態様と感じます。

呆れ果てるばかりなり。

 

先般お役人やその手の人たちの「会議好き」を記しましたが、昨日辺りからは各各、「壮行会」のニュースが。

つい家中で「まるでお祭り」とぼそっと口に出てしまいました。

支援物資、看護師を自治体が派遣するにあたって、その地の「長」が出てきてそういった「会」を催すということも恒例のよう。やはりコレら支援の動きもパフォーマンスというか内外への宣伝から始めるというのが上にいる人たちの感覚なのでしょう。

 

毎度傍観者のたわごとで申し訳ありませんが、「一刻の猶予」とか「迅速に」とか勇ましい言葉は耳にするものの、それら言葉とは裏腹にかなり「悠長なことを・・・」と感じてしまいます。

日頃の危機対応というもの、「ゼロからの構築」ということでしたら致し方ありませんね。日々の準備はないということですね。

壮行会などをしている暇はないような緊迫状況と思えますが・・・そんなイベントの開催が、「お役人仕事」と揶揄されるところなのです。「おしゃべり」が好きというのもダメですね。

 

 

さて昨日は年1回恒例にしている静岡在住の御門徒さんの自宅の御内佛のもとに向かいました。

借家住まいの年配の女性でボランティア精神溢れる方。ご主人の不慮の事故にもめげず張りきっている方です。

以前にも駿府城公園内の路上生活者に向かっていることを記したと思います。

私のできないことをしている人ですから、その人は私の先生ともいっていい人。

また口調もしっかり理路整然、物事をバッサリ断じる歯切れの良さ。そういい性質のため話をしていて清々しいものがあります。

 

その人は着付けのプロですが、お勤めが終わっての雑談の中、私の道中黒衣と髪型について褒めてくれるではありませんか。「今日は決まってる」です。

ということはいつもはどっかしら「???」だったということでしょぅが、とにかく褒められるということはうれしいものです。

 

気分を良くした晴天の夏日の帰路、静岡駅南に寄り道して先般「墓道氏」から紹介された「清見」に。勿論駐車場にて黒衣は着替え済です。

この店は一見蕎麦屋風の構えですが、ラーメンがウリの店と聞きます。

 

丁度お昼時で狭い店内は「ごった返し」状態。

まず最近になって見られない様相で驚かされました。

駅から近いとは言っても同じような形態で撤退を余儀なくされる店は数多目にしていますのでこれは感動的。

 

そこを割烹着を着た女性が甲高い声を終始出しながら店内を仕切ってまさに「走り回る」の感。

年配の店主らしき人は「ありがとうございました」の声のみで立っているだけ。その奥さんらしき女性は会計の方の担当のよう。

 

私はラーメン+カレーライス(500円+550円税込)という他の客が注文しているコンビネーションを注文しましたが、味はといえば昭和を彷彿とさせる醤油系和風ラーメンにこれまた家庭的な辛くないドロッとしたカレーでその懐かしさは癖になりそう。

敢えて記せば「昔母親が作った味」でしょうか。

 

この店が満員状態になって4人席テーブルに2+2の相席を先客に求めるところを何度も見ましたが、その仕切り走りの女性が発する言葉の頭の「ごめんなさい・・・・」が印象的でした。

相席のお願い、注文遅れの詫び、水の注文、品出し、狭い店内の移動などなど、まずその「ごめんなさいから始まる」という作法です。

ついその言葉がささっと動きの中から出てくると人はだれもが内心「いいよぉ~」となるのです。

 

この店が「流行る」という一面を垣間見た思いです。

ハッキリ言ってゆったりと食べての一服感はまったくありません。店内入って待っている人を見たら、ぐずぐずしてたら申し訳ないような心地になって、つい食事を駆け込んで切り上げてしまいます。マイペースで食事をするならカウンターがいいですね。

駅ナカのスタバあたりで残りのその「のんびり」感などは味わえばいいのですが。

 

褒め言葉とごめんなさいは耳慣れすると心地よく、再た聞きたくなってしまいますのでリピーターが増えるのでしょう。

私もそれらを真似ていきたいポイントと思うところです。

③は褒めもごめんも言いませんが飛び回っているだけで癒してくれています。