桜の季節に「千本」通過時は是非 上品蓮台寺

洛中洛外を歩いていて、寺とその門前に立つ由緒書の類に目がとまります。

それらにはまずは寺たちの長い歴史というものに変化が訪れたことが記されますが、だいたいその変化の著しかったものに3種類ほどピックアップすることができます。

 

①応仁・文明の乱②秀吉③廃仏毀釈です。

③に関しては京都に限ったことではないにしろやはり寺というものの歴史の中、特筆ものの変化で、大きなダメージを被っています。

②は洛中整備にあたって点在した寺を問答無用で御所東側の南北を走る通りに移転集約させています。今の寺町通ですね。また反面秀吉は適宜寺院スポンサー(有徳人)として荒廃寺院に手を貸しています。

そして古き寺の歴史において最大ダメージはやはり①の応仁・文明の戦乱に尽きるでしょう。

 

戦闘時のブームとしてあったのかまず「寺は焼き払うもの」の如く、巻き込まれて灰燼に帰した寺は数多あります。

もしその乱戦が発生していなかったとしたら京都はもっともっとたくさんのお寺とその寺に付属する塔頭寺院が溢れていて、今のように住居が密集しているエリアも少なかったのかと思います。寺たちが淘汰され、その空いた土地を基に「民の繁栄があった」とは少々言い過ぎかもしれませんが。

それでも京都にはお寺がたくさんあるように見えますが、実はその戦乱期を通して多くの寺が消滅し、規模の縮小を余儀なくさせられていったのでした。

 

さて、息子の旧寮から新寮への生活道具の自家用車でのピストン運送は京都の中心部の少々西側を南北に走る千本通を頻繁に使用したことを記しました(4/1そして4/4)。

「中心」を外したと記しましたが平安京の朱雀大路をその起源としている旧メインストリートです。

ちなみに「千本」とは葬送の路ということで塔婆の数を表現したからと。

 

そちらの通りには桜の季節になるとその道の「通 つう」が集まる寺があります。

聖徳太子創建の伝承があるほどの古刹「上品蓮台寺」です。

やはり古くから大伽藍と多くの塔頭寺院(十二坊)を誇ったそうですが、応仁・文明の乱で灰燼荒廃し秀吉の支援で再興したそうです。なにせ船岡山という要衝の地に隣接していますから。

付近には今も「紫野十二坊町」という地名が残っています。

 

私が千本通脇のこのお寺の前を通過する際にはちょうど、3台もの観光バスが路駐していました。

近くに交番がありますが、黙認ですね。運転手さえ残っていれば「アリ」のようです。

私はこれまで4回ほどこちらのお寺に参っていますが、駐車場の存在が判明したのは3度目でした。

前2回は駐車場所がわからず、人を助手席に残してのざっと見でした。

 

私の通行時に散策の人たちが多かったのは桜の開花が重なったからに他なりません。

枝垂れ桜ではちょっとした名所ともなっていますね。

勿論息子には、「ちょっと桜だけ」と寄り道させてもらいました。

駐車場は墓地参拝者用のスペースで、交番とコンビニの間を入ればOKです(場所はここ)。もう季節は終了しましたが、隠れた名所としておすすめです。