惨過ぎる画像  後手を踏む施策  大谷祖廟の早朝

それにしてもお役人の方々(政に関わる人含めて)「会議」というものが好きですね。

背広とネクタイのお偉いさんらしき人たちが集まっての何かしらの相談事の画像をやたらと目にします。連日の「殷賑極めるトーキョー」でのご様子。

傍からのおせっかいではありますが「もたもた感」大いに感じます。

 

現地では20万人以上の避難者が発生し、避難場所も満杯で溢れかえり外寝の人も。何より生活のための水やおにぎりの確保に2時間待ちの行列だと。物資不足もますます深刻と聞きます。

 

私どもが体験した2009年の地震(6.5弱)がまるで赤子のように感じるほどの激烈な画像に避難者の戦慄恐怖と計り知れない苦痛の大きさを感じ取ることができます。

牧之原市でこんなブログを記していることが申し訳なく思います。

 

なるほど気象庁・学者も驚くほどの活断層の動きとその派生地震であることはわかりました。

しかしお国の方でそれをいつもの常套句である「想定外」として、被災地への救援が後手に回っている現状はまるで、「その時はその時」「国民末端の事は知らねぇ」という「暗黙の高慢ちき」が匂ってきてなりません・・・それって私の気のせい?

 

初めてこういった事案に直面させられたのなら「致し方ないかな・・・」とは思えましょうが、ここのところあの手の画像は毎度毎度のことでして・・・。「災害だから我慢しなさい」なのですか?

 

災害というものは私たちの感覚では「いつ遭遇するかわからない」というところですが、国レベルで考えれば「必ずやってくる」というスタンスが必要ですね。

こんなにも激しく被災されたうえに「物資不足という人為的災難」を現地に味合わさせていいものでしょうか。気の毒になります。常日頃から福祉社会を標榜する先進国を語っているのですから。

 

これを危機管理体制の瑕疵といわずして何といえばよろしいのでしょうか。

ミサイル防衛だの領海・領空侵犯だの対外的、外交的には積極的に国民を煽って積極的に対決姿勢を見せていますが、国内で起こる自然災害にはあまり興味というものを感じないのでしょうか。

そういったスタンスをつい感じてしまうのです。

 

会議を開催するということは民主的な手法ではありますが、今は会議ではなく、システムだった支援策を進めるだけですね。

支援の何たるかを日々理解していなかった故の責任回避の会議のようにも見えます。ひょっとして無策だったのですか?

 

指導者が「会議」に持ち込むというのは独断で指示する自信が無いということと責任転嫁の現れです。

真の指導者はネクタイを外して作業着に着替え、陣頭指揮するものでしょう。

思うことは大型ヘリコプターにその時用に手配していた物資をコンテナに積み込んで輸送するだけなのですがね。

紙ばかり読んでいる防衛大臣には不安を感じさせられますが、自衛隊の空挺部隊でも何でも惜しみなく投入してテキパキ動いている姿を見せてくださいよ。

もしかしてそういう危機管理体制は構築していなかった?

今から物資を集めて送るのですか?

20万人ですよ。

 

会議の開催-調査-手配-集積-着手の段取を今からやっていたら被災地見殺しといわれても仕方なし。これまでの災難をまったく「学んでこなかった」という判定がされても仕方ありませんね。

世界中が見ています。

 

さて、本日は誰もいない大谷祖廟の画像です。

開門朝一番でしたから、境内ですれ違う方は清掃の方くらい。

景色がイイですね。息子と二人の独占状態でした。

今年お初の参拝でしたが私は5月にもバス遠足で皆さんをお連れすることになります。

 

「他人を咎めんとする心を咎めよ 清沢満之」の言葉がグサリと刺さります。ダメですね文句たらたらでした。