遠州国境の国 井伊郷の国境の城   千頭峯城

昨日は低気圧の通過により伊平の十一面観音の「御開帳」は諦めて、本堂御内陣の清掃作業。最後の画像は、観光協会からのコピーです。

 

この時期の本堂内はたとえ外が日差しがあって暖かくともかなり冷えます。しかし昨日は体を動かすにつれ、上着は邪魔になり、半袖になったほどの温かさ。

午後は雨が止むも、風が強くて外出は断念、おとなしくしていました。

 

先日記した富幕山の登頂は楽しいものがありました。

あの時は下山後は予定通り三ケ日方面に抜ける林道を躊躇なく選択したのですが、ああいう道悪は久しぶりで少々緊張しながら走りました画像①~④。

「風吹峠」の名はイカしています(富幕山ブログでもコメントいただきました)。たしか三河の雨山合戦の際、菅沼定村が超えた峠の名もそれだったよう。

この地区の冬場の風は強いものがありますが、遮蔽物の無い峠の吹きっさらしを体験すれば、その名を付けたくなるかもしれません。

 

小田原在住の頃は、箱根外輪山の各林道をよく走りましたが、直撃を受けたら「絶対無理だろう」というような落石やら、道が崩れて消失、やむなく切り返しを数十回してもと来た道を戻るなどということも経験済みです。

城めぐりでは岩村城で肝を冷やしました。

 

山を下って三ケ日に入って、道を聞いた農家の方が仰っていましたが、地元の方はこの林道を頻繁に使うそうです。

休日を除いて滅多に観光の車は通らないようですが、対向車と出くわすとなるとやっかいな道とのこと。

山越えの場所に畑があるとのことでした。

 

千頭峯城は国境の城(場所はここ)。

三岳の本城に井伊谷根古屋、昨日記した大平城等数々の支城・砦からいって井伊の領地は広大です。ただの国人レベルではないその力量を感じさせます。

井伊谷から富幕山という大きな山を越えた、辺境地にこれだけのスケールの城を防御線の主格として設営できるのですから。

 

千頭峯の「千頭」はこの城が関所的施設を兼ねていたことが想像できます。浜名湖・遠州灘の海産物・塩などを新城から信州方面に運ぶ街道が城内を貫いていて、たくさんの物資を運ぶ人馬がその街道に溢れていた様子から、その名称に関連するのかも知れません。

 

今は千頭峯トンネルが真下を貫いています。⑤が富幕山方向からの北側の図。⑥がそれを抜けた場所ですが、その南に案内板と駐車場があります。

城内雰囲気は縄張り図をご覧になっていただくしとて、この城に関しては本丸下にステップを工作するなどメンテナンスが行き届いている感がありました(本丸まで10分程度)。

各所に案内板もしっかり立てられていて親切です。

名前も「千頭・・・戦闘」で勇壮でカッコいい名です。

 

看板の通り、井伊家縁戚、奥山朝藤の城で、三岳城、大平城同様、足利方の追捕(南朝方)により一掃されています。この城に宗良親王が在城していたかどうかは知りませんが、彼に付いてきた南朝方兵力は籠城していたそう。

 

また室町初期(南北朝期)の城といっても、遺構の残留状況の良さからさすがに戦国期の改変が現在目に見えているところと推測します。スケール増強されていても不思議ない立地にありますね。

ただしその後は国境といっても決定的な対三河の状況にはなく、井伊は家康の配下になっていますので「戦闘」はなくそのまま廃城となったのでしょう。