家族伴侶  お世話になった命への思い  流転墓

紅梅に次いで白梅の方も開花しだしています。

いつもの冬の鳥、人懐っこい「ジョウビタキ」がかん高い声をあげながら境内を飛び回っています。

植物たちの命を守るために彼らを簡易温室に囲って、さらに温風器の導入。早めの処置が功を奏し、寒気に一番弱いベンジャミンは葉の緑を維持、今のところ立ち枯れの気配はありません。

温室の中は陽が出れば30℃超し、最近では早朝-2℃という凄まじい温度差ながら、その最低の方を温風器で8℃までフォローできています。

この2、3日は温風器の目盛りを上げて対応しています。

 

以前からあった檀家さんからのリクエスト、動物伴侶(ペット)の納骨墓について、「それでは・・・」ということで、鐘楼の脇を掘り始めたのが昨年の夏。息子に掘ってもらいました。

ところがその近くにはケヤキやら槙柏の木が・・・。かなり太い根っこが交錯して出てきてあきらめ、半ば放置状態にしていました。そこで石屋さんに依頼し小型ユンボにて掘削を開始したのが昨年末でした。

こういうことになるならば最初から依頼しておけばよかったと息子に罵倒されることは必定。うやむやが残ります。

どちらにしろ最後には石材加工をしてのセットは外部依頼することですし、つまらぬことをさせたものです。

 

近頃のペット事情というものは、周知のこと。

数を推計すると、犬1150万~1200万頭、猫950万~1000万頭というデータがありますが、最近はネコブーム、犬猫肉薄か逆転の様相です。

以前は、そのような生き物たちの命が終われば、大抵は野山に埋めたり海浜に向かっては埋葬、時に川・海に流したりしていたようです。

生き物たちとは家族同然の生活をしていても亡くなればあくまでも「物」としての感覚でしたし、当時は「廃棄物」に対する考え方もかなり甘くてアバウトな処置も黙認されていました。

 

ところが昨今の彼らとの考え方は、「モノ」としての対応は考えられなくなってしまいました。

法律上は対人間では傷害事件であったとしても他者のペットを傷つければ「器物損壊」?になりましょうし、路上にある動物の遺骸はゴミ処理と同等の扱いとなりますが、実際同居している家の人々からすれば「家族」と呼んでも何ら不思議は無い時節。むしろ「物」呼ばわりなどしたら先方に喧嘩を売るようなものです。

 

父親の代からその手のテーマは散見できましたが、先代(父)は彼らの遺骨は100%「モノ」として考えていました。

境内墓地への納骨は拒絶していました。

「犬やネコに手を合わせるものか」と話していましたが、ここいらあたりでは人形供養とかいうイベントを催すところがあって、どこかでも記しましたが「ドラえもんにお経をあげた」と苦笑していたお坊さんがいました。

 

ただし「ケモノ」と呼ばれるなど法的にペットは「モノ」と捉えるのが一般的かも知れませんが、もはやどの家でも彼らは心情的に家族の一員。

イイか悪いか、父にはその辺りの配慮が無かったようです。

 

私からすれば「モノ」として捉えるのなら、ずっと了承している故人の入れ歯や眼鏡と同様に考えればイイと思っていました。

ということから私の代になって「お困りでしたら各累代墓へご一緒にどうぞ」の考えでしたが、先方の方でもその辺の割り切りができずに、どうしたものか困っているというケースを見てきました。

 

庭の広い家などスペース的に余裕のある家でしたらそのまま土葬することもできましょうが、なかなか事情は許さないところ。最近は火葬してから遺骨を引き取ってそのまま埋葬してもらうサービスがありますのでそれでもOKなのですが、そんな中、遺骨だけでも引き上げて、「どうせなら菩提寺に」「どこか境内の隅に納める場所を設けられないか」という意見を聞くようになって、また、彼らたちの遺骨に関して我が家でももちろんたくさんの同輩が同居しているということもありました。

檀家さんの「どうしたものか」という単純な疑問への回答としてこちらを建碑したということです。

 

ということで「生き物たち」を介しての寺と各家とのご縁を重視。合葬墓ですので「礼金等不要という方向で行こう!」と格好をつけましたが、婦人部の皆さんに「それはダメ!」とご注進いただきましたので少々のご依頼金を決定しました。

あくまでも檀家さんの中で困っている人がいらしたら・・「よろしかったらどうぞ」の気持ちです。

 

名称は「流転墓」。

「生々流転」の文字を記しました。

まるで一般的な墓碑としても通りそうですので、足跡を二つ付けて完了。

自画自賛ですが、コレはなかなかイイ出来、「商標を取ったら・・」などと調子にのっています。

足跡を見たら間違えることはありませんね。

 

参考までに

御納骨冥加金

①檀家さん1000円

②檀家さん以外5000円

 にしておきました。

納骨時は三つ折り本尊で阿弥陀さんを迎えて、短い偈文を拝読、焼香するという算段です。

 

ハッキリ言ってビジネスではありませんので、その使用頻度にまったく期待もしていませんし、寺としてもあくまで付属的な設定です。

ただ皆さんのそういった窓口、「無くては困る」という声に応えただけでこれがいわゆる「時代の要望」というものでしょう。

 

最後の2つの画像が今回敷いた砂利の様子。