心地よい筋肉痛  富幕山付近   家康の山越え陣場

弓張山地(ゆみはりさんち)は遠江と三河の境界を仕切る山域のこと。

その道の素人が山々のことを語ることはおこがましいことですが、春から夏の花々の美しさについては特筆すべき地と聞きます。

 

戦国時代の城砦について「境界の城」として本城を守る前衛の城、いわゆる支城または枝城(「しじょう」)と呼ばれます。

後者の場合は本城のことを「根城」と呼んだりしますが、今で「根城」といえば「本拠地」の意味の方が強いですね。

八戸には南部氏の「根城」(ねじょう)があったりしますね。

 

要は本城・根城の周囲を衛星的にまたは木の枝葉の如く取り巻いて、領国の安定を保つための「礎石」として機能したものです。

本来の意とは違うでしょうがその一所懸命に守らせた城を本城被害を喰い止めるために見捨てることを「捨石」にするなどと言いますね。先日の大河ドラマでもその台詞がありました。

 

情報連絡の伝手が限定的な当時としては峠や高所に狼煙台を兼ねた城砦を設け各守りの手勢を置いたわけで早期に敵方の動きを察知するためにも不可欠なものです。こと国境付近となれば、より緊迫度が増すために重点的に城砦が置かれることは珍しいことではありません。

こちら三河・遠江国境の弓張山地周辺には、高所、山麓、平坦地に西は豊橋から新城、東は湖西・浜松に多くの城たちと無数の砦、狼煙台があるということです。

 

「城」と呼ばれる施設があれば、たとえその城が本城に付けられた支城であったとしてもさらに前衛的な狼煙台の延長のような施設を周囲に点在させていましたし、戦があればそのたびに攻め手は陣城の類を増設し守り手はそれに対応しようと防御を強化しますので各勢力城砦づくりに始終翻弄されているというのが戦国時代。

 

450年以上の歳月が経過していることもあって現状その姿を維持できていない場所ばかりで伝承をくまなくあたっていくことはほとんど無理でしょう。

私も砦や墓地の存在の情報にこだわって山中を彷徨ってしまうことはしょっちゅうですので最近は「ほどほど」を心がけています。しかし、若いつもりでついつい調子に乗って山中分け入ったりします。

この今味わう、難儀の「さわりだけ」なのではありますが、これは「450年前と同じ」という感覚。

時代ミニ体験なのですね。

そういう意味で山城の登頂は楽しいものなのです。

 

先日ブログにて井伊谷三人衆の菅沼忠久について記しました。三人衆の手引きによって『豊川、宇利を経て「陣座峠」(ちんざとうげ)を越えてから奥山―井伊谷―曳馬』と三河から遠江への家康越境進撃コースを記したのですが、この「陣座峠」の遠江側は井伊家家臣団で縁戚関係を持つ奥山氏が治める地

いつも通りの直虎周辺の系図には奥山因幡守朝利の名が2件ほど見えます(画像最後)。

 

陣座(ちんざ)とは峠越えにあたって家康が宿営「鎮座」したことからそう記したり読んだりするのと勝手に考えました。

周辺は「奥山姓」だけに山深い場所、地名も「奥山」で通ります。

国境の向こう側は今でいう愛知県新城市ですが、この両国を分断するラインが「弓張山地」です。

 

手っ取り早くその雰囲気を味わうに標記富幕山(とんまくやま)を登るということになりますね(場所はここ)。弓張山地では一番に有名な山でもありますし。

直下を貫通する新東名高速のトンネルが2つほどありますが、たしか記憶では「富幕山トンネル」「陣座トンネル」でした。

 

その日は井伊谷から奥山経由で林道を三ケ日方面に向かうという目標がありましたので「上(かみ)の浅間山と下(しも)の浅間山」は別の機会ということにしました。

これらの山々を歩くのもこの山地の醍醐味と聞きますのでいつか実現したいと思います。

 

「浅間山」(せんげんやま)というからには富士山信仰の山であることが推測できますが、富幕山からの眺望の一番の景観は富士でしょうね。

あいにく私の上り下りのコースにあった展望台には常時先客が鎮座して落ち着いてシャッターを切れなかった(言い訳)ためピンボケになってしまいました。

 

登攀コースは多数ありますが(山頂の標識にも「細江コース」「只木コース」の文字が見えます)、車を乗り捨てたのは、「花の奥山公園」の先でした。

その日は年配の方たちのトレッカー多数。

人気で気軽な山登りであることがよくわかります。ちょいと登攀気分で、登り始めのご夫婦に、頂上までと、そこから下山の時間を聞いてびっくり。「のんびりで登り50分の下り30分くらい」を聞いて相当躊躇しましたが、こうなったら「体力測定の一環」と自分をだまして歩を進めました。

 

大きな山城もそうですが、こういう場合はいつものショルダーバックとカメラはひどく邪魔。左右の肩にそれらを掛けますがゆさゆさと前後に暴れて気になります。つい手を添えますので常に「転んだらどうしよう」とも。

次に行くときは両方とも突っ込むことができるリュックを持参することを忘れてはなりません。

何よりも両手が使えますし、ペットボトル等の飲料も放り込めるというものです。

 

以前、この山系の西側に伸びる「金山」と「雨生山」の新城側の登攀の際、道を外して少々迷った経験があったため、小さな懐中電灯はショルダーに入れていましたが、それ以上の不測の事態というものに備える必要がありますね。

山城とは違います。もっと真面目に考えなければなりません。

それにしてもすれ違うみなさん、登山靴とストックは不可欠のスタイルでした。そうはいっても私はアディダスのフットサルシューズ以外は考えられません。フットワークは軽いですから。

 

トレッキングしなくても車で行けたような気がします。

山頂が見えた時、林道(車道)らしきもの(画像⑧)と降りた後その登り口らしき道(画像⑬)を確認。ただし⑧=⑬とは限りませんが。しかしそれでは「ちょっとだけ家康気分」というものは味わえないわけで・・・。

 

夏場に遠慮したいというのは「クマ出没注意」の警告。山城ももちろん夏季は敬遠しています。今が一番の季節。

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (木曜日, 21 1月 2016 08:56)

    懐かしい富幕山です。
    ボーイスカウトで大谷キャンプ場で2泊3日をすごした時
    ハイキングで登りました。
    登り道にたくさんの山芋の蔓を見て「この辺の人は山芋を食べないのかなー」と
    思った事を思い出します。
    確か付近に風越峠とかいう名前の峠があり
    風情がある名前だと思いました。

  • #2

    今井一光 (木曜日, 21 1月 2016 22:21)

    ありがとうございます。
    私もその峠の名前については印象に残っています。
    すれ違ったベテランの方から
    「行ってみれば・・・」と勧められましたがあきらめました。
    行きたいところばかりで本当にキリがありません。