標記、やはりコレでなくては1年のスタートになりませんね。
そういえば昨年の今日も同じでした。
おめでとうの言葉とは裏腹に「また歳を重ねちまった」という焦りにも似た開き直り。
歳を重ねられためでたさもあり、また寿命を一つ縮めたといういわゆる「畏怖」へ確実に接近しているというジレンマに陥るところです。
歳末の本堂裏の大掃除で引きづり出したガラクタの中に、結構面白いモノが。
画像の角火桶2個です。灰と埃まみれのうえに一つは底が抜けてツナギは真っ白け。
底板を見れば、発注先と年が記されていました。
古い道具を見渡してこういう書き物があるのはうれしいです(画像①)。
「大正十二年(1923)二月に大工の栄吉方ニテ之を求む
今井家所用」
おそらく先代の父でしたらこういうものは即お払い箱でしょうが、私は未練がましく補修可能か確認し、「デキる!」とふんだものですから修復チャレンジ。
適当な大工仕事でしたが、何とかカタチになりました。
さらっと塗装をすれば、結構時代劇に使えそうなグッズに。
外側木部とはサイドの銅板によって直接火がかかることを防いでいますが灰の詰まった部分の底部分は少々いい加減な作り。漆喰にて耐火性をクリア(気持ち程度)し中央部には薄い銅板が敷かれていたようですが、その下の木部は殆ど炭化していました。
昔はこういう物から火災が発生したいたことがよく想像できました。経年によって火が入ったまま火桶の底が抜ければどうなるか容易に想像できます。
枕草子の冒頭お馴染み「春はあけぼの・・・」の「冬」の段に
「火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし」
という言葉がありましたが、私の朝の仕事はまさにソレ。
年末から大勢のご挨拶がありますが玄関にその火鉢や火桶に炭を放り込むために「火を急ぎおこす」ことです。
「急ぎ」という形容が手に取るようにわかりますね。
何しろ寒いので早く暖をとりたいの一言に尽きるでしょう。
もっとも私は火が完全におこるまでは待つことができずに玄関からは退散して居間のストーブの前で震えて様子をみています。
昨日の朝、大正十二年生まれの方の訃報を受けました。
数えで九十三歳。その年号はあの火桶の裏に記してあったものと同じ。
考えれば昨年はその年生まれの方の逝去が3名もありました。大正が8名に明治が1名でした。それぞれが100前後のお歳を重ねた方々たちですが、それら住環境、殊に暖房という感覚でいえば徒然草の時代と殆ど変りの無い時代を通したということですが、それひとつだけをとっても今の「ぬくぬく感」とは違っていたことがわかります。
火を入れてみましたが、ハッキリ言ってコレは「手あぶり」、今でいう部屋全体を暖める暖房器具ではありませんね。
そういうことで、元日早々のお仕事は枕経から。
先方の御都合や火葬場が開いていないことも重なって葬儀は4日に決定しました。これで息子を京都に送ることを口実に京都物見遊山という思惑も一気に瓦解。こればっかりは致し方ありません。
故人は歳を重ねてから心臓に持病を持つようになったそうで、歩行運動をすることでも心臓に負担を及ぼす事ななってしまい、いわゆる「リハビリ」をメニュー通りにすすめられないというジレンマに陥っていたそうです。
私は人に対して「運動は大切」「歩いてください」といつも偉そうに口に出していますが、足腰に常時激痛がともなっていたり、この方の如く少しの心臓負荷が大きなダメージに繋がってしまう方もいらっしゃるということです。
何でもかんでも「それがイイから」と私の主観をおしつけて、当然の如く「そうあるべき・・・の態度はイケナイ」ということを知りました。
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