大晦日 除夕の鐘 煩悩の数も量り知れない

この冬一番の寒さ。

朝7時に自作温室内の温度計を見れば3℃。

外気と変わりません。

灯油のランタン(画像①)を一晩温室に入れておきましたが殆ど効果はなし。熱帯性植物は5℃を割ると枯れると言われていますので今年地植えにしたベンジャミンが気がかりです。

ただし風がまともに当たらないということ、そして昼間に陽射しがあれば34℃以上は上りますので、何とか踏ん張って欲しいところ。

暖冬ということで冬慣れさせるには絶好の機会ですから。

 

夏以降ずっとそのままになっている本堂裏の漆喰に縁を切った木枠の塗装について息子の仕事にしようとずっと放置していたのですが、ここへ来て「さあっ」と立ち上がったところ、優先順位上位の後堂の片付けと隙間の穴埋め、昨日締切だった地頭方処理場へのゴミ出しで1日が終わりました。

 

本堂の床下に入ることもあって、埃まみれになりました。

私の父親からはそういう雑多な寺仕事についてまったく知らせてもらっていませんでした(当人も手を出さなかった)ので、私は次世代に継承してもらいたいという気持ちもあり、無理矢理息子に付きあわせます。

黙っていれば車を乗り回してほっつき歩いているだけですからね。

 

さて、大晦日の鐘撞きについて再送です。

コレについては何度か記していますが昨年は午後1400からの開始でしたが、今年はその開始時間を変更してお昼1200から。今年は告知を早くからしているということと近隣にも回覧を廻していますのである程度の参加者の来訪を期待しています。お昼開始についてはボランティアで奉仕参加される方々がより、「大晦日の夕飯の支度準備、ゆっくりしたい」というリクエストがあったためです。

 

参加者は子供さんと女性が多いのが嬉しいですね。

何故なら、力任せに大男が鐘をブチ鳴らせば「ひょっとして壊れるのでは」という気がするからです。

そういう場面に何度か遭遇しましたが、かなり冷や冷やしますね。力余って中心に当たらなかったり棕櫚の先端がボロボロにささくれてしまったり、ハチャメチャです。

 

まぁ多数の方々が来られるのは喜ばしいことですからよく言われる108回など拘らずたくさんの方に撞いていただければと思っています。

ただし「締めの時間を決めないと・・・」という意見もあり、それは「また来年の課題にしましょう」と今回はお許しを頂きました。

1分おきに衝くとして2時まで催した場合、たかだか120回です。来訪者が少なければスグ終わりそうですが、多かったら間隔を狭めるなど対応しなくてはなりません。

振幅が完全に止む前の振幅は鐘に対してあまりよくないのですが・・・。

 

そもそも拙寺の鐘を昼頃に衝き始めるというには理由がありました。父親が寺に入った当初は一番気合いがはいっていたように感じたのは大晦日の鐘撞きでした。

11時30頃初めて、午前様まで撞いていたことを思い出します。

ところが完璧な管理というものが出来なかったので、ハッキリとした「終了」が無かったのですね。

当時もどなたが鐘を撞いてもOKだったのですが、そろそろ終わったかな?という頃、午前2時すぎあたり、寝静まった静寂の中に酔っ払いが突如と現われて数発打っては消え去るということが頻発しました。

 

その度に「おまえら!いつまで鐘を撞いてんだ~この野郎」のお叱りの電話を受けて、遂に中止となっていたという経緯があったのです。

住宅地の寺の在り方でしょうが、すべての方があの鐘の音にいい印象を持っているかといえば違うでしょう。

我慢して100近い回数を耐えて、「やっと終った」と思った寝入りばなに再び始まればクサクサしてブチ切れされることは大いに理解できます。

 

よってその頃の私の帰省時の大晦日の忘れてはならない仕事は「除夜の鐘は撞きません」の掲示と、鐘を衝く棕櫚の棒をロープで固定することでした。

 

しかし、この梵鐘の出番の最大のヤマ場といってもイイ大晦日の鐘撞きが無いとすると何のためにあそこに吊る下がっているの?という単純な疑問が湧いてきたというのが一昨年の大晦日。

あの梵鐘は祖父十三代住職が「2度泣いた」という経緯もあったワケです。坊さんは感情をコントロールする状況に晒されることが多いためあまり泣くことを人に見せませんからね。

 

金属徴用令で梵鐘を軍に持って行かれた時、大八車に載せられた鐘に向かって正信偈をあげて涙をこぼしていたといいます。そして、戦争が終わってから「工場まで取りに来い」という通知があって、喜び勇んでそちらに向かえば既に溶かされたあと。そちらでも悔し涙を流したと。

勝手に持って行って、「戦争が終わって不要だから取りに来い」、それでも嬉しくなって取りに行けば、「やっぱ溶かしちゃった」ですから、地団駄踏んだ祖父が思い浮かびます。

 

その悔しさと、梵鐘の無い鐘楼の哀しい姿を見て、何とか檀家さんに依頼して「再鋳」したという大切な鐘です。

あの時代、檀家さんも余裕のない時代で、誰もが困窮していました。そんな中大切な御懇志を集めて頂いて、出来上がった梵鐘。今一度その御恩に感謝したいという気持ちも含めて響き渡らせたいと思っています。

響流十方」再び。

 

②は鉄工所さんに頼んで鉄の吊金具の劣化状況を確認してもらいました。③④は自作の手摺。皆さん乗り気ということがわかって、元あった鉄管パイプの手摺を撤去。自分なりに考えて木製のものを取りつけました。まずまずのデキです。

⑤の「正覚大音 響流十方」の右わきの「再鋳」の字が光っています。何故「再」なのか響かせていかなくてはなりません。

 

この御縁にひと撞き如何?