「類は友を呼ぶ」が「 君子危うきに近寄らず」

「類は友を呼ぶ」なることわざを聞くことがありますが、これは通常使用時、あまりいい意味では使いませんね。

どちらかと言えば批判的意味が大半。

時に「友はあなたを育てる大切な仲間である」が如く意で使用する事もありますが、だからこそ逆にその「友」らの質の程度が低ければ自分の質も低下させられるということでもありますね。また逆も。

 

オリンピック組織委副会長の豊田氏が辞任したことやジャイアンツの原氏が監督をやめたことは表向きは「さも当然」というような理由が並べられていますが、第三者的(特異な?・・)受け取り方としてはいわゆる「おりこうさん」の類を見た感。

 

頭のイイ人というのはリスクを感じ取れば一歩離れるか、手をひくものだなとの勝手な納得。

一味同然との社会的評価はその後の人生に汚点を残しかねませんからね。

お二方とも現職にこだわって関わり続けることよりも一気に断ち切るか一旦区切りを付けるというのが得策と受け取ったのでしょう。

 

原監督が辞したあとジャイアンツの選手内での野球賭博関連、賭博開帳図利の騒ぎが起こったことも大いに頷けます。

オリンピック組織委の体たらくの無責任ぶりはおそらく豊田氏の目で俯瞰したところ「致命的」を感じて改革不能との見切りをつけたと思えてなりません。

このままお仲間たちの煽て言葉に載せられてその役職に鎮座していても「改革」など苦戦することは目に見えていて、下手をすれば本業のイメージダウンにもつながりかねないというところでしょう。

責任だけはしっかりおっ被されて思わぬバッシングを受けかねませんから。

要は「類は友を呼ぶ」の「友」として評価されそのまま埋没したくないというのが本音だと思います。

昔から「君子危うきに近寄らず」と言いますね。

 

ということで「友」というもののウェイトもほどほど、数もほどほど、たくさん友が居たとしてもロクでも無い連中ばかりだったらその評価を下した者達から見た「友」としての評価はやはり「ロクでなし」でしょう。

 

先日檀家さんと檀家さんの話の中に首を突っ込んで「それって?・・・」という質問をしてしまいました。

「奴はいいタマだってよ」とのスラングにです。

その意はやはり「それってロクでもないってこと?」と聞いたら「そういうこと~」と。

話の内容は、ロクでもない奴にはロクでもない連中のとりまきがあるというようなものでした。

本当に相良は小さな町で何かあればパーっと広がって結構恥ずかしい。みなさんその手のお話大好きですね。

だから少しはまともな考えのある方は「自分はネタになるまい」と「いい子」にすることを心掛けているのです。当たり前。

 

さて、皆さんが一生に数回程度片手に余るほどの回数しか行くことはないであろう火葬場のこと。

当然ですが仕事柄しょっちゅうお邪魔して口も出したり、まるで火葬場の職員のようですが、このほどまたお邪魔して見学をさせていただきました。

 

以前私が組合にレポートを出しても音沙汰の無かったストーブ等暖房器具の導入について、秋口に現場の寒さについて施設員さんから相談を受けたためそのまま市の議員さんを紹介して直接陳情していただきました。とりついだということですね。

たまたまその議員さんの父上の葬儀式の日でしたのでまさにタイムリーでした。

 

ということでその後寒くなってまいりましたので、どんなものかと状況確認ということで立ち寄ったのでした。

なんとファンヒーターが3台導入されていました。

収骨室には電源がありませんでしたので電気工事もされていました。

私のしたことではないのに感謝までされちゃいました。

 

空間は広いのでほんの少し。しかし暖がとれてあの特異な場所に立ち会う人々の冷え切った心をいたわる優しさというものを感じさせることができるというものです。

行政の市民へのサービスというか配慮です。

今までは「きめ細かさ」に欠けていたように感じましたがこのほどの関係者の皆様の御判断に感謝いたします。

 

たまたまその際、こんな連中も居るのだなと驚いたことを。

最近は大抵の事に滅多に驚くことはなくなりましたが、とにかくそれには呆気にとられました。

亡くなった30歳代の方の収骨待ちのいわゆる若者たち数名が、まだかまだかと待合室から出てきて収骨室に入るや大声でバカっ話に挙句爆笑の躰。なんたってワンカップ片手ですからね。

 

昔は、こういう場所はさすがに「場所が場所」だけに背筋が真っ直ぐになってある程度の緊張があって「遠巻きにうかがう」が適切な作法。

 

亡くなった方はどういう方か知りませんが、この手の友人がいるということはだいたいその「類」は推測できますね。

ひょっとして故人は「ロクでも無い連中」を友を持つ方?と・・・

 

葬儀は休日の飲み会とうっぷん晴らしの場ではないですね。

ああいう風景を見て、この相良の若者を一言に断じてしまうのはいかにも気の毒ですが、私でさえ強烈なインパクトがあったことは事実です。

そして何より葬儀は「家」というものがやむ無く、不本意で出さざるを得ない、厳粛な空気の中で挙行するもの。

そして他家の方たちも同じ場所に同座(隣の炉)しているのですから。

その「家」そのものも「ロクでも無い」を印象付けましょう。

察しがつくというものです。

 

死者にとっても礼を失していましたね。

「大騒ぎすることが大好き、年がら年中ハッピーな人だったから」などと言ってバカ騒ぎする事の正当性を主張する人がいますが、私から見れば「友の死を肴にお前が一杯やりたいだけだろう」という風。

その日は5件も入っているうちの早い回の家だったそうで、そもそも10分遅刻してやってきたと。

あとあとの人たちにも影響の出てしまうのですが、「そんなこと知ったことねぇ」と言っているワケではないのですが、そんな風に取られてしまいます。

すべてが気の毒でなりません。

 

それとも本当の意味での「切なる悲しみ」を味わったことのないおめでたい軽薄さ?悲しみへの「正しき」自己表現ができない方々?そういうのも「さもしい」の部類に入りますがこれもお気の毒。

 

ロクでもない友とは早く手切れしておかないと、おつおつ静かに火葬炉にも入っていられません。恥をかかされることになりかねませんので。

「持つべきものは友」ながら「待たぬべきも友」。

 

画像は昨日の欅柱完成図。

ベース部近くに三角の耐震用ダンパーが見えます。

そして火葬場に導入されたストーブ。