仏法そしてお寺  潰すも生かすも坊さん次第 ?

浜松についての真宗お寺事情というものをよく耳にしますが、その「寺院経営」についてはかなり有望な地であるとの噂を聞きます。まぁ話半分の聞き捨てということで・・・。

 

というのは昨日も彼の地は「ラッキー」であると大河ドラマ採用についての経緯を記してそれを強調しましたが、やはり市の力量というものは企業の有無に尽きます。それも大企業の。

浜松には本社所在地のあるハイテク企業が多い事は特筆。

上場企業では尚更です。これは市の税収にも関わることは勿論何しろ人が集まりますから当然でしょう。

人が集まれば町が活性化することは当たり前です。

その良し悪しは別として、生き生きとした町を作りたかったら企業を誘致することが第一義です。

 

そこのところの誤解?から浜岡町が原発(中部電力)を誘致して「夢を描いた」ことに始まって地域住民の意見が交錯、ぎくしゃくした人間関係と政策の不能状態に陥っているのがこの辺り全般の近況でしょうか。

 

どこかで耳に入ったことを真宗に限って無責任に記します。

私どもの地域の真宗教区の「組」の地域の中には大企業の本社はありません。

浜松地域と比べて各自治体の能力の差は自明で「浜松はいいなぁ」というボヤキにも似た言葉を聞くものです。

私は詳しい事情はよく知りませんので「なるほど」と聞いているだけですが、浜松には比較的「真宗門徒が多くて寺が少ない」傾向があると。

 

そういえば当流は中遠から静岡は「曹洞宗の地盤」といわれていますがそのことがまさに正当であったと、以前出向いていた仏教会の会合等のメンバーを見回してわかることがありました。

大部屋の隅の方から、今の仏教界の混乱について断ずるに(「行」より「信」を強調する絶対他力、悪人正機の流布について)「親鸞が悪い」などと無茶な言動が聞こえてきたりするのは、まさか真宗系の坊主が同座しているワケがないということからでしょう。

 

まぁこういう状況を「肩身の狭い思い」と世間ではいうのでしょうが、私はそんな発言は意に介せず淡々と時間を過ごすばかりでしたが・・・。

まぁそれも他宗のお坊様の本音の様なもので私もそこのところ逆に胸が張れる強調すべきことであると確信したほどでした。

 

そんな中、当流当地「組」のお寺さんのボヤキは、私どもの組の御門徒さんは減っていく一方であるのに浜松地区は御門徒さんが増えすぎてその忙しさや「てんてこまい」であるとのことでした。火葬場の空き待ち等、パッと見はやはり忙しそうではあります。

その忙しさから察する、以前記した冥加金について「不公平感」があるとの意見も聞こえています。

まぁいろいろの僻みやボヤキが重なって稚拙な事を放言しているといえばそうかも知れませんが・・・。

 

浜松地区に御門徒が増えているという論理としては、やはり大企業に付いて流入した三河系の門徒の存在を指摘していました。

それは説得力ある推論で、今のところその「三河門徒」説は私も「なるほどね」と合点してはいます。

 

しかし、「超繁忙」状況というものは往往にしてその実務に隙を生みますね。

言うなれば坊主として「最良のサービスを提供できない」ということになるのです。

仏事法務を「サービス業と同一視するとはけしからん」とお叱りは受けましょうが、今や檀家さんの口から聞こえてくる言葉は(特にお酒の入った宴席で)「坊さんの悪口」ばかりです。

要はサービス精神の欠落に品位の欠落の話が多いような気がします。

 

坊さん(私)の居る前で坊さんの審判の様子を披露されるのですが、私はこれを「如来のお達し」と受け入れています。

「お前は気を付つけろ!!」ですね。

まず酒宴ではその話ときたら通例というかまさに坊主は酒のつまみです。

 

対応・法話・布施・読経・失策・酒癖・女癖等すべてがやり玉にあげられて面白おかしく場を盛り上げていますが、「ああ、通常はこういう場に私も」登場しているのだということは優に想像できます。私も一緒になって笑っていますが内心うすら恐ろしいものがあります。

これら状況を目の当たりにして「いい子にしよう」と心掛けるところではありますね。

 

ということで法要(これは大抵の坊さんの独壇場です)の「質」について考えます。

何かのアンケートを見ましたが日本の仏教界衰退の責任を示唆する数字として「信じられる」ものとして①仏教そのもの②お寺③住職の三つについて問う項目がありました。

記憶から薄れてしまいましたが大体のところを。

①の仏法については喜ばしきかな90%以上を獲得。仏教の良さについては追認を頂きました。②の寺はグッと下がって確か50%程度。

そして③僧侶への信頼に関してはいけません。何と10%代でした。

 

ということは・・・坊主の言っている事など「みなさん信じていない」という厳しい現実を突きつけられているということ。

これは坊さんの「言っていること」というよりむしろ「坊主そのもの」への信頼なのでしょうね。

「仏教の教えはイイが坊主がムカつく」、コレです。

そこで私の気づきを一言で。

「末法世界とは仏法を説こうとする坊主の質が低下していることを坊主自身が気づかない」ということでしょう。

 

それは坊さんの本質的な生まれながらの性質に左右されるものですからしょうがないといえばしょうがないのでしょうが、せめて檀家さんと接する法務には「一所懸命」は必要です。

事情によってそれが不可能な時もありましょうが、そういう時はダメなりに「気張って」法務に当たるという態度を示すという心掛けは必要です。

ヤル気無し、適当、雑を相手に感じ取られるのでしたら催行しない方がマシです。

 

ということで浜松地区の超繁忙寺院近隣ではその「質の低下」の声が聞こえてくるのです。

ごめんなさい!、私はこのようにブログで「こうあるべき」の大風呂敷を広げるということは自分の尻に火を点けて自らに警鐘を鳴らして、これからの我が身の在り方の指針としようというものでもあります。他を中傷するのが本意ではありません。

またこれに齟齬があれば大いにお叱りの言葉を頂戴したく修正を心掛けます。

 

もっとも私の考える「質」とはいわゆる厳正な法務の遂行ではなく、「おバカはおバカなりに一所懸命」くらいのところで本当の上質なお寺のイメージからは程遠いレベルだと思いますが。

 

画像は3年に一度宗教法人更新提出が義務付けられている総代と責任役人選定の提出書面書式。今節更新期を失念して督促状が届きました。1年ごとの県へ提出する書面も毎度のこと。

またしてもやらかしました。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    くりくり (金曜日, 04 12月 2015 00:53)

    うちは新家でして未だに墓も寺も持ってないのですね。
    法事のたびにそろそろなんていってるわけです。
    従って寺とのおつきあいもなくてね。

  • #2

    今井一光 (金曜日, 04 12月 2015 02:03)

    ありがとうございます。
    十分に寺の坊さん(私ですが・・・)につきあっていただいているではありませんか?
    今度拙寺のイベントにこっそり顔を出されてみてはいかが?通事本堂お参りも自由です。
    大晦日のお昼1200から鐘撞きをします。子供さんお孫さんはきっと喜びます。