「庭訓往来」にみる仕事人 境内往来を見て  

一昔まえは「家業に専念」することはあたりまえ。

家業が軌道に乗っていれさえいれば、博打や酒等の諸煩悩への趣向はそれぞれの責任において管理していけばよろしいもので周囲はひとまず安泰。

しかし家業をもっと手広く拡大したり、異業種に参加することはあまりいいこととは捉えられない商道徳のようなものがありました。

 

代々伝わる家業を廃して新しい業種に参加することは別世界の話であって、どういう結果が出るものかまったく暗中模索で周囲の反対があることは当然でしょう。まず御先祖様に「申し訳ない」から始まりますね。

 

しかし、商売には「頑張り過ぎてもダメ」「頑張れば頑張るほど損が拡大する」というのもその特徴で、「昔は良かった」という思いだけでの我慢一途、「継続は力なり」などという語をもっていつまでも損失の連鎖を続けていれば破産することは必定。

ということで何処かのタイミングで家業のシフトしていくことは正解で、それは歴史を見ていれば明らかですね。

 

お寺だからといって例外ではありません。

拙寺歴代御縁のあった菊川西林寺さんも幼児保育一本の形態に変更したことをかつて記しました。

 

ということで牧之原市の家業変更の目立つ例を。

といっても廃業というかそれは後継者不足が主たる原因ですが、理由は「サラリーマンの方がマシ」というもの。

酒屋さんからは現状「かつての勢いからは程遠い」というニュアンスでの様子は聞いていましたが、それと同等に深刻なのは魚屋さんと米屋さんなのでしょうか。

鮮魚店の閉店話と後継者不在、特に米店の廃業はよく耳にするようになりました。

 

国の政策がスズキ・小糸・矢崎などの自動車関連の企業(輸出主体の会社)に勤務するよう勧め、内需生活必需品は大型スーパーで購入しなさいと、地場の商店街というものを否定するかの如くに感じてなりません。

どんな商売も仕事も生き残っていくことが本当に難しいと思います。

 

以前は職種によって勢いの差異を感じましたが、今は「やり方次第」のところがありますね。どううまく立ち回っていくかそこがポイントでしょう。

まさにサバイバルゲームに等しい時代となりました。

 

寺楽市で模擬店を出していただきました。

①価格度外視②子供はタダ等の金額と対象を限定し、天候もアテになりませんでしたので仕入れ抑え気味ということもありましたが、おかげさまでどの店も完売。法事が終わって境内に出て見たらオール店じまいの状況でした。

値引き率の高くない商品もありましたがそれらも殆どの商品が売れたようです。今回は近所へ回覧を廻したり③年配者支援団体に無料チケットを配布していたため見知らぬ顔もちらほら。

御門徒さん以外のお宅に報恩講を告知して人を集めましたが、「どうやってお参りすれば?」等の質問が飛び交っていました。

 

直営店・渡辺瓦協力店①②③などのため完売は当たり前ですが、商いというものは難しいのは当然ですが人の動向は1.価格 2.告知(宣伝) ですね。まあ私たちのレベルは「お店屋さんごっこ」であって「利益」など考えていないということ。

 

直営店の一つ「焼いも店」について記せば×前日3人工3H、当日2人工7Hに、婦人部動員で芋の事前処理。芋は熊本から40㎏約200個で送料込で20000円とちょっと。燃料費は勿論別です。

諸般理由から「芋は西国からとりよせよ」というご指摘がありましたので・・・。

それを仕入れ値と同じ金額100円/1個という金額設定。

瓦屋さんのみたらし団子は100円/2本でしたから11時前には店じまいとなって早々に退散されていました。

価格云々の「商い論」など比較になりませんね。

結局「商い」は利益が出てナンボ、私たちのやっているのは「ごっこ」でしたた。

 

さて、「庭訓往来」(ていきんおうらい)とは寺子屋等で使用される教科書のことで「往来物」(おうらいぶつ)と呼ばれるものの一つ。

例文が手紙文形式をとっていることで「往来」ですね。

「庭訓」とは孔子が庭を走りまわる息子に「勉強しろ!」と諭したという故事から。

 

その教科書には職業について色々記されている箇所があります。

「地方にはこういう仕事が発達しているよ!」の部分ですね。

 

「京町人、浜商人、鎌倉誂物(あつらえもの)、宰府交易、室兵庫船頭、淀河尻刀禰、大津坂本馬借、鳥羽白川車借、泊々借上(かしあげ)、湊々替銭(かわしぜに)、浦々問丸」 。

 

これらは中世以降に発達し、それぞれが大きな財をなしていった商売形態の数々。一言でいって今でいう「サービス業」。

人々の「利便」に目を付けるというのも商売の基本のようです。

国立国会図書館デジタルコレクション - [庭訓往来抄]にあります。