大進撃 La Grande Vadrouille カボチャと中央線

齢を取ったせいかこの時期の世間様につきもののイベントについて「ふーん」と一歩も二歩も置いた感。そのうちの一つについてはきっと若かろうが、絶対にと断言ができるくらい「不参加」を表明したいようなことで、そのことはそもそも歳とは関係が無いのでは・・・と思いますが。

 

2題ありますがその1件目は東京モーターショー。

確か春先に開催されるボートショーなどとともに、かつては派手好きの友人らと、あるいは家族でその人混みの中に繰り出した記憶がありますが、今はさらさら行く気にはなりません。

かつては首都圏に住んでいたこともあってその手のイベントには向かいやすかった環境ではありましたが、今はその手の会場に出向くよりも京都あたりの博物館巡り、墓地散策をした方が断然自分自身のテンションがあがります。

「人混みの中から、人無しの墓場へ」と、年をとると趣向は一転するものですね。

 

もう一つについての行事というか、世間の流行りものについてはまったく「ついていけない」感。その手のことを盛り上げている人種の頭の構造を覗きたくなってしまうくらい違和感のあるのが・・・あのカボチャの祭りです。「なんで」とつい口走りたくなります。

かつて私がいた東急ハンズの頃からその走りはありました。

商売に結び付けるうえでそれぞれが工夫して、そのお祭りの拡大に期待を込めているのかと思いますが、当時、アレに関わる担当にだけはなりたくないと内心思っていました。

 

「楽しければイイ」と言う人がいますが、私にとってはその雰囲気は毛頭ありませんし、だいたいその意味とか意義とかまったく不明なのです。

本家、特にアメリカあたりでは最近はグロテスクな死体を模した人形を庭に放置したり吊るしたり、どんどんエスカレートしている様、もはや退廃的世紀末風のバカ騒ぎへの辟易の感、コレは歳をとったせいではないとすれば「ただの変人」だからなのですかねえ。

私など、黒衣を着て歩けば「墓道」あたりからは「何のコスプレだ?ハロウィンか?」と茶化される始末。ただしコレ、渋谷では意外とウケたりして・・・

 

モーターショーでは今年のテーマはどうやら「自動運転」が各社のテーマだそう。視覚認証のセンサーとコンピューター技術を競って、将来は運転手のいらない自動車を作ろうというものです。

 

私の若かった頃といえば高校時代のことを思い出しますが、私も墓道氏も高校も高学年ともなると要領というものが良くなって全校朝礼など一切出なくなりました。

特に就職説明会や数学の授業などまったく意味が無い(私大文系3教科)ですからね。

まぁ適当にやる(進学する)から「学校は私のことを放っといてね」という感じです。

ということで、「バカバカしいから参加しねぇ」という気の合う連中らとともに確か音楽準備室という校舎の端の教室で屯していました。朝礼などは出欠とりませんし。

見回りの教務主任を教壇の後ろに隠れてやり過ごし、適当にスリルを味わったあとは、まずは映画談議です。

 

色々な映画が華やかな頃で各局、洋画放映の枠を持ち競争していたような時代、何度も同じ映画が放映されていました。そしてその内容を皆手に取るようにイメージしながら物語していました。

C・イーストウッド等の西部劇、「ドル箱三部作」やビリー・ザ・キッドについて先日記しましたが、それらが筆頭ではあるものの時に別ネタも。

フランスの喜劇俳優、ルイ・ド・フェネス似の友人がグループにいたことからそのコメディ映画についても盛り上がりました。昨年の暮れに偶然に葬儀場で声を掛けられて、そのあと墓道らと忘年会をしましたが(その際はディープ・パープル等ロック談義)、その人です。

 

特に、ルイ・ド・フェネスなんて知らないなどという人がいると思いますので記しますと、フェネスの映画の中で標記「大進撃」という映画などはフランス映画界では数十年に渡って興行収入1位を保っていた(2015年第5位)くらいの名優・名作です。

あの頃は半年おきくらいにどこかのチャンネルで放映されていたのではないでしょうか。

 

当時から、自由の国フランスを標榜していただけに、全体は大真面目に権威を振りかざす軍人~ここではナチ~をこきおろして小ばかにするという流れです。

この「大進撃」などいう邦題は前出「三部作」同様日本に来ての変造で、原題は「La Grande Vadrouille」。

「Vadrouille」とは「放浪」「放浪記」で、このブログのタイトルと同じ。権威を嗤い飛ばす姿は憧れに近いものがあります。

 

フランスを占領したドイツ軍にパリ上空で撃ち落されたイギリス爆撃機の搭乗員をフェネスらがレジスタンスらと逃がすという、少し真面目で殆どドタバタのストーリーですが印象的シーン各ある中、私はパラシュートがペンキ屋のゴンドラに落下した際、真下で部下を並べてエラそうにしているゲシュタポの将校らに白ペンキをぶちまけるシーン。

まったく権威というものをコケにして笑いものにするところなどフランスで絶大な人気を得ていたことがわかるような気がします。全編「軍人はマヌケ」を強調します。

 

もうひとつは私たちが語り草のように時折、その話をすることがありますが、ドイツ軍の検問をトラックで突破して追手のサイドカー付バイクを振り切るシーンですね。

撃ってくる追手に積み荷のカボチャをハチャメチャに投げつけるところを見て、西洋のカボチャのデカさを知ったものです。

 

最後に1台のバイクが追跡を続けますが、そのシーンを思い浮かぶのが、今般自動車ショーで注目を浴びている自動運転の事なのです。

昔の映画は身体的欠陥など露骨にバカにするシーンがありますね。この映画はドイツ軍人の視覚的なミス、ことに斜視の人が出てきて何かやらかすというシーンが出てきますが、その最後の1台のバイカーはカーブの続く山岳地帯をハイスピードで逃げる主人公らを載せたトラックを追っています。

バイクの走行は中央線のラインを手掛かりにしているようなカットが出てきます(ゴーグルに線が反射している)。

映画を見ている側として「何?」と思うシーンですが、直後にそれが判明します。

その時トラックの暴走にすれ違ったのが何故か、中央線にラインひきをしている作業車。唐突です。

それがトラックのはみ出し走行によって誤って崖方向にラインをひいてしまうのです。

そのラインに沿って走らせたバイクは谷底へダイブしてみんな大喜びという場面でした。

 

自動運転のセンサーはおそらく中央線やガードレール、信号の色、障害物を判定して車を進めたり停めたりする判断をするものですが、ちょっとした何かの間違いが重なればひょっとして「谷底」に案内される場合もあるかも・・・とあのシーンを決まって思い出します。

 

そのあとも人が隠れたワイン樽にドリルを持ち込んでワイン泥棒をするドイツ軍人が登場しますが「斜視」を強調していました。

まぁ、それこそが一言で言って戦争というものを展開する「見方」「見識」であるというメッセージにもとることができます。

もう日本語バージョンはビデオやさんで見かけることはなくなりました。ただしユーチューブにはありますね。だいたい52分くらい経過したあたりがカボチャと中央線のシーン。

 

映画は欧州各国で大うけしますが、こきおろされているドイツでも人気を博したそう。日本だと「放映禁止」の声があがってきて、どこかで「放映します」でも告知しようものならば、脅迫状が届くというような段はよく耳にします。

この国は一見自由であっても「ちょっと違う」感、大いにありですね。

 

ただし「祭り」様のバカ騒ぎへ時間とカネを浪費することには寛容です。「祭り」の変容、明治以降の西洋かぶれのなごりでしょう。

 

画像は相良片浜辺りを榛原方向へ。富士山もうっすら。

静波墓園の剥離しまくっている小屋の塗装を修正に向かいました。箒も新調。