「須らく食すべし」墓道のク語法 と大域の衝立

以前横浜時代に友人の「墓道」を自宅に招くにあたり所用で出ていた日本橋方面のデパ地下にて今半のすき焼き弁当を奮発して購入、家に戻りました。

私ども家族一同はサンドイッチや稲荷寿司の類と菓子類に資金を分散したので、ハナからその弁当には食指は動きませんでしたが、「ニク」好きの彼を喜ばすという意味だけでの投資でした。

その金額に見合う「うまさ」なのか彼の箸の先と顔色を家族一同で凝視していたことを思い出します。


「それで、どうよ?」と尋ねれば、彼は一言「御一同も須らく食すべし、次回は是非にお薦めする」との談。

酷く憎たらしく感じたもので、かれこれ10年以上は経っていますが、いまだにその唖然とする返答振りは忘れられません。

今でも独占しつつ何かを食べている時にモグモグしながらその台詞を言うのが当家の洒落―「墓道殿のニク語法」―にもなっています。


この「須らく」は「すべからく」と読みますがこの表現は古い文書では見かけることがあります。今はそのような表現を日常会話で使う人はいませんが・・・。

「す」は「する」で、「するべき」の意。

それに「日本語」というものを勉強するうえで酷く難解にしている「ク語法」の一つで「如く(しく)」とくっついて動詞「す」が「○○すること、さま、もの」と名詞化するという古い形の言い回しがそれです。

「いわく、ねがわく、おそらく(推す+如く)」等々色々あってこれらは日常的ではありました。


ただしこの「須らく」にはまず決まり事のように「~べし」が付きますね。

「須」がまず出てきたら「○○すべし」となりますので、それが訓戒的文書であることがある程度認識できます。


さて、画像は掛川の某方より譲っていただいたもので日坂成瀬、大域の書の衝立です。

私はコレが結構気に入っていて、今は仏間に置いてありますが、いずれ玄関の間をキレイにしたのちにはそちらに置いて、皆さんに見ていただければと思っています。


私どもが普段使用している出入り口は本当の玄関ではなく昔で言えば勝手口。段が腐っていることと、引き戸が動きづらいので何かしら手を入れなくてはなりません。


澹泊之守須従 穠艶場中試来

鎮定操之還向 紛紜境上勘過


澹泊之守はすべからく

穠艶場中より試し来るべし

操を鎮定し還向するは

紛紜たる境上を勘過す


 澹泊 淡泊―あっさり無欲

 穠艶場(じょうえんば) 盛んであでやかな場

 鎮定 しずめおさめる

 紛紜(ふんうん) 入り乱れる


分かっていることは・・・、

イイ言の葉には違いないのですが、生憎とその境地に至らない自分があるということでしょう。