京都中心の車両事情等、特に渋滞と人の大さについて記しましたが、いっそのこと車は適当に停めて健康のためと自分を騙して足を使ってブラブラとしてみるのも手ですね。
著名観光地や京都駅前を外して適当に「えいやぁ!」とコインパーキングに入れてしまうことです。
東本願寺の通りの向かいのにはレンタサイクル屋があって、立ち止ってはどうするか悩みますが、考えてみればコレも置く場所に困るものです。
前回本山にお参りに行った時はそこいらに車は駐車に放り込んで、今一度秀吉の「輪廻転生ライン」を歩くことにしました。
自転車の機動力も捨てがたいのでいづれはチャレンジしてみます。
本願寺顕如の長男で本願寺十二代を継承した教如に難癖をつけて引きずり降ろし、三男の准如を継承者に据えたのは秀吉の意向。のちに教如は家康をスポンサーにして返り咲き、本願寺が東西分裂と相成ったことは以前にも記しました。お東で仏飯を頂いた者としては表に出さないまでも仏敵信長への憎悪は当然、「秀吉憎し」の気持ちは多少なりにあったことでしょうし、秀吉が死んでからというもの関ヶ原で家康が勝ち、大坂で豊臣が滅んでからは本願寺は双方とも安泰の日々が続いていたのでした。
それ以来、明治以降までお西は秀吉、お東は家康の如くの対立感は少なからず続いたことと。
そして信長徹底抗戦派の教如の流れ(武闘派強硬派)ということから、お東は粗野で突飛なイメージもあったようです。
私から見ても何かと「お西」のお寺はお上品さが漂っているようにも思えます。
秀吉は准如に寺地を与えて「再建してやった寺」ということから自分への寺の恩義と忠節は勿論期待するものがあったでしょう。真宗に帰依するわけでは無いにしろ、その教えのさわりの部分、「西方極楽浄土」の思想を自分に当てはめていたようです。
死したとしても「神として転生・再来してこの世に現われますよ」という庶民へその理論をわかりやすく示そうとしましたね。それが秀吉の「輪廻転生ライン」だったわけで、家康から続いた徳川家は本気になってその思想を潰しにかかりました。破却された豊国神社の再建は明治になってからでした。
「六条御殿」が東本願寺の別称で家康から教如が寄進を受けた寺地ですが、先日は歩きやすさもあって七条通りを東に向かいました。
途中渉成園を廻らないと家康による神格化と転生への邪魔立てを兼ねた、六条御殿、東本願寺の寺域のすべてとはなりませんのでこちらへもどうぞ。
あらためて地図をみれば西本願寺から方広寺・豊国神社を結ぶ一直線、西方阿弥陀浄土から阿弥陀ケ峰超えの東方薬師(日没<死>から日出<誕生>)への道である「正面通」を塞いでいますね。
だから七条通を進むということになります。
七条通京都駅近くは現在発掘調査中(画像⑧)。
おそらく駅直近のホテル、マンション、商業施設の予定地だとは思いますが、京都はそのような民間「建替え」時は発掘調査の絶好のチャンス。ある意味その手の遺跡調査費についてはかなり余裕をもって計上していないと対応ができませんね。遺跡の上に町があるというのも凄い場所です。
東山周辺も今では華やかに人が往来してその感じすらありませんが、阿弥陀ケ峰周辺から大谷祖廟あたりを「鳥辺野」と呼び葬送の地の代名詞でした。
今の七条通を歩いて鴨川西側にある松明殿稲荷神社(画像⑥)などは火葬の煙が嫌だということで現在地に転じてきたというくらいです。神道は死者を忌み嫌いますからね。
そういう意味では墓場の上に建物が乱立しているというのも京都といえるでしょう。
何も下調べをせずにぶらつくのですが、どうせなら京都国立博物館の企画も楽しみにしながら向かいますが何とその日は展示準備の閉館中でした。
「琳派京を彩る」が特別展タイトル。その「琳派」の語を人に伝えてもチンプンカンプン。
「リンパ」を何かの健康法と一瞬勘違いしてしまうようです。尾形光琳の「琳」から来ているのでしょうが、俵屋宗達に本阿弥光悦から尾形光琳・乾山を経て酒井抱一らに続く系統のことですね。
11月23日までの開催ですのでそれを口実に京都へ再び向かおうと思っています。
尚、11月22日から相良史料館で展示予定だった拙寺の丸尾月嶂襖絵の展示出品はキャンセルされました。理由は
①展示場のガラスケースに入らない
②搬出入に関しての手配がプロに任せるとコストが増すことと、素人仕事ではあまりにもリスキーということでしょう。
要は「何かあったら・・・」ということでしょう。
展示場で「大澤寺は近いので現場でどうぞ!!」と案内すれば済むことですしね。
小襖現物は出品します。
本堂に襖に櫓太鼓に旗差に阿弥陀如来御本尊と海の如来さまでお待ちしております。「お参り」がてらにお気軽にどうぞ。
「拝観」ではなく「お参り」です。料金等お気遣いは不要。
阿弥陀さまでも御開祖でも私の知っていることならお話できます。自慢話でもさせていただきましょう。画像⑦が七条橋から見た比叡山。
③④⑤が七条通を直行する高瀬川と川、水路についての文言。
木屋町という名称にも触れています。③画像奥には阿弥陀ケ峰が見えます。
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