当山報恩講寺楽市と「みて!みて!ばくらの・・・」

10月に突入してからの数日、当地に限っては心地よい秋晴れに恵まれています。

台風とその熱帯低気圧の日本列島日本海側縦断による傷痕はあらためてタイミングとコース、要は自然の気まぐれには「人間は見ているだけ」の「無力」をあらためて感じさせられました。

 

「あらためて」感じるということは人は忘れてしまうということですね。致命的危険でも「のど元過ぎれば・・・」と平気な顔をしていますね。慣れの恐ろしさというものもありますが。

 

本日の法事のあとのお斎で、お隣に座した方と気が合って歴史やドラマ談義、特に「鬼平犯科帳」の時代劇としての「しっかり感」と演出(エンディングの立ち食い蕎麦をかけこむシーンとギター・・・)について同感を得ていましたが、最後に私が「ところであなたどなた?」風のことを伺ったものですから場がかなりずっこけてしまいました。

さんざんノリノリで気が合いながら盛り上がってからのそれですから無理はないと思いますが、これはまったく私のただの失念と失礼。「以前もお話したじゃないですか?、故人の娘の婿です!!!」と。

 

本当にダメダメですね。

これは老化以前の問題でただただ私のお頭の問題でしょうね。本当は微妙だな・・・と思う時は黙って話を合わせているのが得策なのでしょうが・・・。そのモヤモヤが嫌だから仕方ない。

忘れてしまうから文字に落として記憶に留めようと努力はしつつも人の顔はなかなか覚えきりませんね。


 

昔から「あんただれ?」をやっては場をブチ壊していますが、最近ことに街中で会釈などされて「どなた?」と思うことが多々あります。

とにかく笑顔で会釈し返しておけばいいのではありますが、全然その意がなくたまたま目が合って勝手にこちらで勘違いし、ニコニコ笑っていたら相手は「気持ちが悪い野郎」を思うかもしれませんから。

 

ということで散歩などは街中ではなく小堤山からいーら経由須々木方向に出て、晴海台を超えて帰るコースが好みです。人とすれ違えば「誤解」を振りまくことになりますし。

お喋りは楽しいですが、つい極論曲解に走りがちでこれまた大いなる誤解を与えかねません。まぁれは死ぬまで修正できないですから。偉い人たちの失言とやらが無くならない理由がわかるような気がします。特に私に発言の責任を問う人はいません。

ただ腹の中で「バカな坊主」と思って、ただそれだけ。

ちなみに家に帰って、布団に入ると、自分の放った言葉の無責任さ、バカらしさ、根拠レス、はたまた高慢ちきな様子を思い出して眠れなくなったりします。

やはり「寡黙」もスタンスとしては憧れるところです。

 

さて、HPにも記しておりますが、当山の報恩講日程が決まっております。

 



大澤寺 報恩講

 

2015年  11月13(金)   報恩講逮夜   18時

 

 

                  14(土)   報恩講晨朝    6時                

 

                    寺楽市    8時

 

          14(土)   報恩講本法要  11時

 

 

寺楽市開催  14(土)8時より 

 

          どなたもお立寄りください

          

          出店を募集します。

 

          公序良俗に反しない物品の販売。

 

          フリーマーケットも可。出店料無し。 

 

ということです。お気軽にお問合せください。

参拝も出店も檀家さん以外の方歓迎いたします。

 

そしてもう1件。

牧之原市教育委員会主催する文化財展です。

題して

「みて!みて!ぼくらの ゛たからもの゛」

  

  場所 牧之原市史料館(相良城本丸跡)

  11月22日(日)~12月6日(日)

            入場無料 会期中休館日なし

 

当山からは丸尾月嶂の襖絵8枚の内の4枚と小襖、寺田洞仙天井画2点を出品予定です。

 

①②③が小堤山からの図。④が晴海台東端。⑤が相良波津海水浴場⑥が御前崎灯台下。