医療では抗えない老衰 秋の夜栗喰らって思ふ

昨日は朝から好天、ミンミン蝉一人気を吐いて盛夏の頃を思い出させてくれました。爽やかで気持ちのいい時節と人は言いますが、確実に冬に向かっている季節変化の妙を感じます。

人の命の時間についての保証は在りませんから迂闊な事を言えませんが、私も厳しい冬を耐えながら新しい春を迎えることが出来たら幸いです。

夏は水分補給で何とか誤魔化せますが冬の温度差による血圧上昇と血管へのダメージは過酷です。表面上の過ごしやすさから「冬がイイ」という方が圧倒的ですが、本当は冬は怖いのですよ。

 

NHKスペシャルを見ました。

「老衰死 穏やかな最期を迎えるには」という少々重たいタイトルです。

老衰という言葉は職業がら、よく耳にしますがそのたくさんの死に導く「種」は多様で人それぞれ違うにしろ「その時」の状態は一様でしょう。

老衰死者は昨年の2014年で75000人と過去最高だったそう。

戦後ずっとそれは下降傾向だったのですが最近になって一気に上昇に転じ、上記の如くの数字となっていると。

 

高齢者の絶対数が増えたという事もありますが病院での治療管理延命という考えから養護施設や自宅での自然死への方向性が求められた結果でしょう。

しかしながら身近なところにはいまだ「経管栄養」にこだわる医療機関がありますので、これからそれらの考え方が広まれば、いよいよ老衰死への指向は増えますね。「自然死」こそ本来の「死に方」であると・・・

 

そもそも番組では「経管栄養」は要介護者にとって無意味であるとのデータが紹介されていましたね。

その効用は①延命の期待②改善の期待③炎症の予防であって、

特に①の「延命」について「要介護者」へのその方法の選択はやってもやらなくても「変わらない」とのこと。

1つだけ記せば介護者にとってのみ「対処がラク」という「利」があることでしょうか。また栄養剤の価格もバカにならないので病院経営上の問題もあるかも知れませんね。

 

番組の中、死を迎えるに至るまで共通の変化があるということがわかってきたといいます。それは「食べる」ことの機能の変化だそうです。

一定のカロリーをとっていた段階から体重減少が始まってだいたい亡くなる一週間前から食事を摂らなくなるそうです。

当人は空腹を感じていなければ「その際」のありがちな過呼吸も苦しみを感じていないそうです。

 

体重が減少するのは体の側からのサインだそうで「もうそろそろ・・・」を体全体に発しているとのこと。その最期の「スイッチ」が入るのでしょうか。

 

炎症(inflammation)と老化(aging)からの造語、インフラメイジング(inflamm-aging) という語で解説していましたが、老化による慢性炎症が繰り返し起こって体全体に広がるというメカニズム。その末期の呼吸障害は肺筋肉の不全が原因であり、無痛も脳の痛みを感ずる部位の不全ということで説明できるようです。

言い変えれば各細胞が「もはや細胞分裂をしない」という域に達し、体中にその情報が伝染するというメカニズムだそう。

そのスイッチ、極老化と慢性炎症をより後にしようと喰いとめるには・・・どうやら抗酸化物質がヒントになりそうです。

ただし絶対に抗えないというところがミソですが。

 

ポリフェノールが第一に考えられますが私たち静岡人にとっては心強いことです。またここに緑茶をがぶ飲みする根拠が出てきたということですね。

自然死であってもできるだけ後に伸ばす。それまで秋の空の如くのハッキリ・スッキリした生命を享受するという使命があるのです。

 

あらためて、「腹が減る」ことと「痛みを感じる」ことが生きている証であったと感じるわけであります。だからこそそれらが過度にいきすぎれば人はキレてしまうのです。

 

画像は牧之原台地の「秋」のご紹介。

子どもの頃は栗の季節でも筍の季節でも平気な顔をして人様の「領地」に徒党をくんで押し入って収穫したものでした。

それでいて何らの文句も言われたことがありませんでしたが、もはやそれは過去の話。

お縄を頂戴して御用となることは確実です。

 

この地区の山間部には栗林が散見できますが、何となく見かけた栗の木から、たわわに実った栗の実が顔を出していました。

それを見るやどうしても栗が食べたくなって、近所のスーパーに駆け込みました。

ところが並べられたそれは何ともチンケなこと。呆れ果てて山に戻って栗拾いの農園へ。

 

それでは「店」のシステムのご紹介。

入園料大人1200円/1名。500gお土産付き。どんなに拾っても500gだけ。あとはばら撒いてくるか欲しければ100円/100gの追加費用の支払いとのこと。ということで1㎏欲しければ1700円(1200+500)ということになります。

 

聞けば農園には多くの客を捌くために、栗を事前に撒いているような話があって興ざめ、入口店頭に並べられた袋入り1500円(家で計量したら975g)を購入して帰宅。

子どもの頃やった棒切れで落したり木に登ってゆすったりは御法度とのことで昔の楽しみの再現はムリでした。掲示されていた掟より。バック持ち込み禁止等、面倒なことも参加しなかった理由です。

 

栗は縄文時代から食べていた秋の味覚。有り難くいただきました。今年の天津はヤバそうな雰囲気。輸入物の甘栗よりは安心して食べられます。

 

最後の画像は流行りの焼き栗風のもの、つかみ取り一握り100円でした。