私の気概 お寺の興行 しばしばはきちがえ 

NHK Eテレの番組「先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)」で田沼意次が取り上げられるようです。

今週相良にも取材クルーが泊まり込みで来られるということで、それに併せて相良史跡研究会の会合招集がかかりました。

史料館にてその場面の録画取りがあるとのことでしたが、当初の収録予定日が変更になって私の予定と重なってしまったため生憎と参加できなくなってしまいました。

本編放送の出来栄えを楽しみにさせていただきます。

 

日曜朝はコマーシャルがうざったらしいのですが、たまたま民放系のニュース番組にチャンネルをあわせました。

その中のコラムで「政治家の気概」等々「気概」について論じていました。

某コメンテイターが今は政治家にしろ役人にしろ、だいたいあの手の者は昔ながらの職種としての気概が喪失していると。

「右に倣え」ならそれっきりで迎合、御身大切型、長い物にはまかれろ風で自身の意見というものがまったく無くなったそう。

そしてそれら職業は親者継承世襲であたかも独占する稼業・家業としているかのよう。それが今の政治屋さんたちと断じていました。

 

私は政治屋さんやお役人ではないので「なるほどね」と聞き流していれば良いのですが、その「気概」について、「では自分はどうであろう?」と考えてしまうワケです。

 

「坊主住職の気概」「寺にいる気概」はじめ「親としての気概」「人間としての気概」「生きているという気概」ですね。

また、それぞれに多様なそれがあるでしょう。

そもそもその「気概」の語は私のこれまでの人生の中の後半部分(前・中部分には無し)あたりから、人と何かを論じたり評する際の常套句に躍進していました。

何かと「気概というものが無いね」などと偉そうに吹いていた覚えがありまして・・・。

そこでテレビからのその論。

まるで「お前はどうだ」の問いかけの如くに感じてしまいました。

 

コメントの中の「家業」は真宗血脈は世襲と決まっていますので(最近は他宗であっても世襲は暗黙のうちのよう)それについては致し方無いにしろ、そのことにマイナス部分が無いかといわれれば、やはり「ある」に決まっていますね。

私も息子も「この家に生まれたから」という理由で何となく坊さんの道を歩むことになったというその「きっかけ」が「違うな!」と思わせるところです。

 

いわゆる就業については何の苦労もいらないということです。

それはどうしても「真に心から 坊さんになりたい」という方がいた場合、その希望への障壁となるでしょう。

まぁ果たしてこのご時世にそんな坊さんになるなどを希望して、寺に入りたいという方が、宗教法人法に保護される利益享受を目的にする方々以外、どれだけいらっしゃるのかはわかりません。

時代が経ればやはりそれらへの考え方の質(気概)は劣ってくるものでしょうし・・・。

 

ただし私の如く根っからの「外遊び」好きの煩悩まみれの愚僧にとって、「私の時間」の配分がとりにくいこの職業に、ある意味厳しさを感じていますが・・・

まさにそこに「業」を感じます。

 

その「気概」は坊さんなら「行」であるのかとは思いますがこれも生憎、当流宗祖の教えでは「信心のうえでの念仏ひとつ」(易行)ですので表に現れて目で見える「苦行」のように感じられません。行とは困難でなくてはという社会の理解の風がありますからね。

よって気概であるなどと胸を張って威張れるようなものではないとは思います。

ただしそれは他からの目を心に置いてであって、私どもにとっての本心は大いなる「気概」であるべきですね。

 

表記「興行」とは今でいう「ショービジネス」等のことではありません

歴史的にいえば「衰微荒廃していく事を本来の形に再興する」ことで、食うや食わずの坊さんや神官が伝承する寺物社物を私物化して売り払ったものを回収させて借金をチャラにさせる等の徳政的なもので神社仏閣維持のために用意された「寺社興行法」の「興行」のことです。

本来それには寺社の相続継承についても勝手には出来ないという趣旨も含まれていたようですが、曖昧で統一性がとれなかったために実効力を得られず形骸化した法となっています。

 

そもそも寺社、殊に真宗寺院の寺で「私物化」しているとの仰せに私が敢えて反論せずにいる理由は、往々にして私たちの寺の発祥が「有志による道場」からだったということがあります。これは平安二大山岳宗教からの改宗という形態もありがちですが、まずは「講」の肥大化と他の吸収からだと思います。

 

「講」を中心に門徒を集めた真宗は室町期に爆発的に広がるのですが、その講は当初は門徒の家々を舞台にして行うもの。

現在でも報恩講の前哨戦「お取越し」などでお馴染みです。

たとえば、ある地区には導師として声明を仕切る者が不在で、御内佛(名号を記した掛軸を本尊としていました)のある家が見当たらない、そしてたくさんの人たちを招く部屋が無い・・・などの理由で講の開催が難しい場合、「皆さんの中で誰か場を提供できる方がいませんか?」ということになりますね。

中にはこれから道場を開設するので「よろしかったらどうぞ」風に講を広げた人=僧もあったでしょう。

 

そこで手を挙げた人がその人の家を「道場」として提供し、寄進を受けながら徐々に寺としての体裁を整えて行ったというのが真宗寺院の始まり。

よって宗祖以来「非僧非俗」とも言われた真宗道場経営者は道場が寺として発展していく過程で「住職」となって講を仕切るようになり、その中で相続は勿論血縁者という継承がされてきたのでした。

 

拙寺も戦後しばらくまですべての土地建屋は祖父13代目の所有権としてありました。まだ当家にはその名残があって庫裏と駐車場の名義は未だそのまま、勿論固定資産税納付もあるくらいです。

 

「非僧非俗」は 僧俗の境が無いということですから、みんな同じ、「平等施一切 同発菩提心」に尽きます。

ということで私のたくさんの「気概」の中で一番大切なことは「自分が率先して動く」になるでしょうか。

それをこの数年来息子に「須らくそうあるべし」の如く、口うるさく伝えている次第です。

付け加えて「エライ坊さんは必要ない そもそも偉くない!!」ですね。

 

画像は先日の台風で抜けたと思われる本堂西側の軒下補修のための「小屋裏上るの図」です。

父も祖父も「釘と金槌は持ったことが無い」などと人を喰ったような自慢話に昔からやれやれと思っていた私ですが、今回木材と道具一式を持たせて息子に上がってもらいました。

実はあの場所は結構怖いですよ。そして狭い。材が新しければ問題ないでしょうが「ミシミシ」っと鳴りますね。

 

最初のうち彼は「大工さんを頼めば」とやらないでいい理由をこねくり回していましたが、私は「お前の道場だからお前が修繕して当たり前」と言ってそれを一蹴して上らせました。

次の出番、住職としての気概を植え付けようという魂胆ですが、私もああいう場所への出入りは苦手になりつつあります。

 

③は彼に撮らせた内部からの図。放っておけば小屋裏がコウモリやスズメバチの巣と成り果てますし、風が吹き抜けて天井から土埃が降り注ぐことになります。

 

その日は本堂の柱と障子の隙間を塞ぐ材の取りつけもお願いしました。

冬季の身に凍みる隙間風を抑えるためのものです。

 

仕事はどれも上出来で満足しています。つべこべ文句を言わなければベストなのですが・・・降りて来てから二百数十年分の埃を吸い込んでゴホゴホ言いいながら何度も鼻をかんでいました。

 

何と言っても材料費数百円という気軽さがイイ。

私の価値感ですが、既に16代目(息子)は13代目と14代目の出来なかったことを手掛けたということで、そこにもまずまずの達成感がありました。

あと数年で交代し「無事安堵」することを願うばかりです。

 

 

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コメント: 2
  • #1

    小山昭治 (月曜日, 14 9月 2015 09:11)

    ご苦労様でした。くれぐれも気を付けてください。
    確かに上に上がるのは、身が軽い方がいいことは間違いありません。
    いやいやでも、やってくれるのはありがたいことです。
    坊主とハサミは使いよう。上手にお使いください。

  • #2

    今井一光 (月曜日, 14 9月 2015 19:41)

    ありがとうございます。
    何とか寺仕事が手伝えるようになって
    有り難い限りです。
    もう少し率先して動いてくれればもっと
    うれしいのですが。