デザインの宝庫  合戦図    関ヶ原合戦図

地震があった際は必ず本堂におそるおそるチェックへ参ります。前々回の震度1や前回の2の場合はまったく何でも無いの一言でした。しかしさすがに一昨晩の「震度3」は瓔珞が揺れていました。まぁその程度ということで安堵の一言ですが・・・。

というのは今回の地震たちの傾向はドンと下から突き上げるような振動でしたので1や2は瓔珞すらの揺れも無かったということ。しかし最後のは「3」ということで上から吊るされている瓔珞には揺れが伝わって揺れていました。

最近は吊るし型の照明器具が少なくなっていますので一般家庭でも揺れへの判定がしにくくなっているのではないでしょうか。

 

私どもの庫裏には生きたセンサー(ネコ共)が俊敏に異常を判定してくれますが、大慌てで各自が猛ダッシュを始めますので周りの物を倒したり落したり、その音や他者の動きが恐怖を増幅させて家中尋常ではないことは察知できます。

 

台風18号については「どうせ雨台風」だろうと高をくくっていれば早朝より風雨が思いのほか強くなり5時過ぎには息子を叩き起こしてすべての雨戸を閉めに。

知多半島上陸寸前の頃でしたが、その後「返し」があると踏んでの「雨戸」でした。

皮肉なことに他所では酷い雨が続いていましたが当地では7時には晴れ間が。返しの風も無くて「これなら放っとけばよかった」と思った次第です。

 

明るくなって本堂内を見れば、一箇所だけ天井から落ちたであろう土の散乱する箇所がありました。どこから落ちてきたのか不明です。もっと不気味だったのは、10年以上使用していない庫裏奥の部屋の古い掛け時計が突然動きだし、時刻を打ち出したことですね。

 

さて、デザイナーという職種の皆さんにはとんだ災難、しかし例の事件は鮮烈でした。

何と言っても「パクリではない」という御当人の談も。

疑われている人がそんな言葉を流布しちゃあいけませんね。「パクリ」という語の使用がスンナリ出てくるというのはそれ自体の行為も日常的の如くに受け取られてしまいます。

私ならその言葉は使用せず、『既成作品の「故意による模倣」』と言い変えたいところです。

 

そこのところをイザとなった場合「故意」→「偶然」―「結果的に模倣」とさらに言い変えて、謝罪するというのが一番に自身を大切(保身)にするための言い訳でした。

「偶然だったら仕方がないね、本人も謝っていることだし・・・」というのが持って行きどころ。

「パクリ? そんな言葉すら私は存じ上げません!!」でしょう?ひょっとして世間知らずで稚拙?なのでしょうが、人間としてはそれほどのワルではない人ですね。

ここは「死中に生を求むべき」場所では無いのです。

現代人は「最後まで頑張る」の意味をはき違える傾向がありますね。繰り返し頑張ることは必要な時もあれば無駄な時もあるということです。

私の人生などきっと傍から見れば「ゼロからやり直し」の連続と思われていそうで「諦め慣れ」の感、逆にもう少々真摯で前向きになれないかねとお叱りを受けています。叱咤されて、聞く耳は付いているものの「それでいい」と思いこんでいるからタチが悪いのでしょう。

 

さて、合戦図の類、その登場人物の躍動感に圧巻ですが、彼らが掲げる幟、旗差、馬印の紋章等の種類の多様さには驚かされます。

カラフルで色使いも豊富、以前姉川合戦図屏風の姉川七本槍(高天神衆)の活躍とその指物について記しましたが、そのアピール度には感服いたしました。

 

万単位の武者どもが拮抗する戦場で「人一倍目立つ事」に本題を置いた彼らですから、他者と同じ印であってはならないのです。彼らの一所懸命は他者と同様に見られる事は論外、模倣など絶対にあり得なかったのでした。まぁ、活躍あってのことではありますが、人の目を惹けばより、その活躍は際立つことになりましょう。

「オリジナル」こそ命、それこそが「死中に生」なのでした。

 

戦国武人のアイデアは凄いものがあります。

秀吉陣羽織もそうでしたが、どれを見てもキレイで思わず真似したくなるような図柄ばかりです。