「弘」おおいなる「恕」思いやり 家康好み 

昨日も雨。

浜松天竜川系(安間川)は水量が限界を超えて、JRは一時運転を見合わせたという報が。伊豆では竜巻?が発生して被害も出ています。

太平洋上には新たに台風へと成長した低気圧が列島へ向かって北上しています。週間予報を見れば晴れ間無し。福島もこのドサクサで海に汚染水を流しちゃっているようで・・・

まったくロクでもない気候です。

 

先日の北京の空が真っ青だったのを思い出して、西の空で何か「インチキやってる」のではないかと、勘繰りたくなりますね。

あまりの雨天続きで川の水量もそうですが付近地盤の軟弱性の方も気にかかります。このような雨続きは滅多に無いことで私の記憶にも。これから何が起こるかわかりません。

 

まったく「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候」だけは聞く耳を持ちたくありません。それって「当たり前」のこと。

それを坊さんが持ち出して言ったとしたら以後会話にならないでしょう。

凄い達観とは思いますが、今のところ私たちは「生かされている」ことに応えます。

 

さて、昨日は「竹中丹後守宛 徳川家康書状」(関ヶ原歴史民俗資料館)に捺された家康の印が「忠恕」とあったことを記しました。

」についてはブログにて紹介しましたが(またはこちら)日頃の慢心と怒ってばかりで他を認めようとしない私たちを省みて是非今その心が必要であると思っているところでした。

 

「忠恕」は家康が好んで使用した判として有名ですが、家康の発した朱印状に捺されています。

「誠実で思いやりの深さ」という意味で、元は孔子から。

特に家康はこの「恕」という字が好みの様で、「恕家康」などの印も使用しています。

 

「忠恕の印」とは一般的に「源家康忠怒」の印といわれていますが、実は「弘」という字がそれからは抜けています。

よって厳密には「源家康弘忠怒」というのが正解でしょう。

 

いつも通り古文書に詳しい叔父の力を借りました。

「弘」はあまりにも人の名前での使用が流布していますので、イメージ的にピンときませんが、この読みは①ひろし②だいなりの二通りの読み。この忠恕の前の「弘」では②の「だいなり」の意で、家康の忠恕(誠実な思いやり)のスケールの大きさを表している語でしょう。

家康らしい言葉とその表明で指導者たるべき我が身の理想の姿だったのです。三方ケ原の敗け戦を描かせた「しかみ像」にもその辺の考えが出ていたような気がします。

 

画像①が「源家康弘忠怒」の印で右からタテに。

②は御存知「しかみ像」命拾いの大失策の図をわざわざ絵師を呼びつけて書かせたといいます。

 

「恕家康」のキレイな画像は「和歌山県立博物館ニュース」 ハンコの談に徳川家康領地朱印状(芦川家文書)に捺印されたものがありますが、そちらのコピーは許可が必要です。

依って各自にて御覧じ候え(こちら)。