「責任の有無を論ずべきでない 」?  本日はヘビ

昨日は久々朝からイイお天気。

夏休み帰省中の愚息はフットサルの試合だと言いながら我が愛車に岐阜から招いたという友人(お寺の長男とのこと)を載せて早朝より出かけて行きました。おかげでその日の法事は「軽トラ」での移動。

 

彼の夏休みは8月いっぱいまで「普通免許の取得」でした。

寺仕事の手伝いの約束と寮生活1年延長を条件に、妥協して本年の取得を認めましたが、悪天候続きで今のところ満足いく仕事(約束の役務)が出来ていません。

日曜からもしばらくイイ天気は期待できませんので、このままいくと「2人仕事」に着手できない可能性が出てきました。

 

パイプで足場を設置し、本堂裏の白壁の補修と木枠の塗装を行おうとするものですが、さすがにコレは一人仕事はキツいですからね。冬に入る前にこのパイプを簡易温室の設置に使用したいためこの1か月が勝負だったのです。

外仕事は日和見ですから思うように計画がたてられません。

 

先般1週間前の豪雨ののち、本堂には滅多に見られない「お客さん」がやってきました。

おそらくアオダイショウだと思いますが仲良くつがいでやってきたのか、別々の個体だったのか、同じヘビだったのかはわかりませんが1日おきに(月・水と)本堂内に。

お参りの方の「ギャ~」という悲鳴で気が付きますが、驚いたのはきっと先方さんの方で2件とも、あっという間に外へはい出て縁の下に逃げ込んだとのこと。

 

あの豪雨の水難にあった生きものたちは少なくなかったでしょうが、あ奴らも突然の浸水避難に本堂へ上ってきたことは間違いないところ。

目撃情報からアオダイショウでしょうが、それ以外の種(毒持ち)でしたらあまり気分のイイものではありませんね。

その話をたまたまお参りにいらした方に話すと、飛び上がって「当分本堂には上がらない」と宣誓。

本当のことを話すのでは無かったと少々後悔したところです。

 

さて、例のエンブレムの件からその前の競技場まで、再び責任論が大いに浮上していますが、表記はその一番の当事者、五輪組織委の武藤事務総長とやらの発言です。

 

このオッサン、俄かに注目を浴びるようになってここに来て、「こんな人もいたの?」と思うように露出しだしましたが、この発言には大いに嗤いました。ヘビの如くの嫌われ者の登場です。

まるでNHKのLIFEというお笑い番組の小ネタを彷彿とさせましたね。

 

それは、気の弱そうな男が彼女の不義を問い詰める(正論)と、思いっきり彼女に引っぱたかれて一般論や道徳論をまくし立てられるというギャグですね。

コレは「開き直りの一般論」というヤツで社会通念上「然るべき」と皆に同意されうる「わかりきった論」を持ち出し展開するものですが、そもそもその手の話の展開というものは、「非当事者」「非利害関係人」のみが語り得る論なのですね。

 

武藤氏の場合は、例の2題、責任論の矢面に立つ人です。

その人が「するべきではない」ですからね。嗤いもそうですが、ちょっと呆れた部類です。

この方については前述の通り、私にとっての情報は「白紙」、取るに足りない何気ないお役人あがり程度、お飾りの部類でしたが次々とみっともない過去が上がってきました。

詳細はエキサイトニュース(伊藤忠系)に詳しいのでそちらをどうぞ。あの耳に懐かしい「しゃぶしゃぶ」系の大蔵官僚だったそう。

 

なぜそんな人がここにおさまっているのか不明ですが、この社会のイイ加減さがいよいよよくわかるような事案です。

「その人がいるからこそ」今の醜態があると思えば「おお!!なるほど」と少々の感動と理解が深まるというものです。

その上に鎮座するあの方も「同然」でしょうが、どなたかが「腹を切る」、それが日本の責任の取り方。

 

意味なんてありません。それが事を始末、おさめるための第一の手段なのです。お辞めになることが。

強制納得、強制理解の正義です。

まぁそれで「これまでうまくやってきた」という御仁たちだからこそのそのスジの「先生」方ではありましょうが。

 

普段勇ましい事をのたまわって、その手のこと(武士道・サムライ)を特に崇拝して止まないでいるクセに、いざ自分に責任が向けられると逃げ廻っているという姿も見苦しい。

彼らは今、土壇場に居るということを認識して欲しいですね。

 

アレが放置されるなら国民全体「やってられない」という雰囲気が蔓延します。まさに「高慢」甚だしい恥の上塗り。

子供の教育にも良くないことです。

 

さて、小島蕉園はヘビが嫌いだったようです。

そして波津の地にはたくさんいた事がわかります。以下の段以外にも結構ヘビは登場してきます。

 

蕉園渉筆148 


「官舎叢中多蛇、動逐鼠走梁上、或蟄書簏、時々驚

却家人、余亦最怯、客曰蛇恐風鐸、乃求掛四簷、伺之己

秋後也、不知明年如其実否」

 

屋敷の庭の草むらにはヘビたくさん・・・。

「鼠を逐い梁上を走り本棚に居る」というのも困りますね。

何しろ家人も蕉園も驚きまくったようです。

風鈴をかけてヘビが嫌がるなど聞いた事がありませんのでそんな俗習を素直に受けて4つも購入実践するなど余程ヘビを嫌ったのですね。

 

最近はヘビも少なくなったといいますが、当境内には複数生息していることは確かです。彼らは人間ほど悪辣ではないでしょう。人間が勝手に怯えているだけ。

 

画像は先日息子にさざんかの伐採をしてもらった図。

私は軽トラへの積み込み役です。

例年、チャドクガの発生に耐えてきましたが、もう管理不能。

新新墓地のそれを一掃しました。

 

今年は驚愕の発生量でその日も異常な数。先日焼き払ったばかりなのに・・・

気候は彼らには絶妙な生息環境となっているようです。

私の父親が「黙って植木屋さんが植えて行ったものだ」と責任逃れの談でしたが、ここでバッサリ縁を切らせていただきました。

そもそもブロック塀があるのですから、植栽は不要です。

歳を重ねた坊さんは往往にして「飯のタネ」ですね。

数日間は二人とも体中の痒みに襲われました。

人によってはただれることもありますが、私たちは軽微なものにとどまります。

 

画像③は息子に乗っ取られた愛車の図。

私はこのステッカーは面倒ですので取り外さず放置して車を使用しています。静岡での小和田先生のトークショーに行ったときもそのままでした。

心なしか合流の際など、スンナリと入れてくれないような雰囲気がします。

「鈍間に前を走られたら厄介」という気持ちは起こりましょう。人によってはこれを付けたままにするのを嫌がるようですが私はまったく気になりません。

むしろ「初心に還れ」ですね。