島田旗指(はっさし) 権現の森「旗指」の一説

8/10の相良の夜は花火大会。

ネコ共にとってそれほど嫌悪する日は無いでしょうね。

「すわ異常事態」と過剰なパニックに陥って狭い部屋の中を駆けずりまわります。その後は硬直して音のする方角を不安そうな顔で見つめていました。

私は花火を愛でて歓声をあげるという歳ではありませんので、自宅でテレビ鑑賞。

先日も記しましたよう、毎日のように放映される「戦後70年」にちなんだ番組にチャンネルを合わせます。他局の奇をてらって坊さんを集めた番組などは少々食傷ギミですね。

 

拙寺は勿論、当流にはその習慣というか流儀はありませんが、他流において門前に地蔵を並べているお寺を結構見かけます。

6つ一列に並べたり道の両脇に3つずつならべて「六地蔵」とするパターンです。まずは6つセットが多いですが、個人で単立させて墓碑とする例もあります。

 

真宗にお地蔵さんが無い、というか、一言で言えば何度か記していますようにそれは「一向専念無量寿仏」の教えですので阿弥陀仏オンリー1だからですね。

初期浄土系の三尊形式で、脇に菩薩を侍らす場合でも「観音と勢至」のみです。こちらは先請伽陀を参照。

敢えて今一度付け加えれば阿弥陀さんはオールラウンドプレーヤーですので「他をたのむ必要はない」ということでしょうか。

 

地蔵というと人間界の苦痛と悲しみだらけの地獄世界(娑婆)からの救済と慈悲についてを特に思いますが、各種地蔵の呼び名のうちで「金剛悲地蔵」なる名ほど、人々の悲しみに寄り沿うことを強調したような名はないでしょう。

私ども真宗門徒へのその願いは阿弥陀仏によって既に成就(本願)されているということから地蔵の出番は無いのですが、それでも御門徒さんの中で地蔵への崇敬をされている方もいらっしゃることも聞きますね。ただし何となくのようですが・・・まぁそれだけ身近な石仏でもあるということです。

 

画像は島田の旗指(はっさし)の静居寺(じょうこじ)(場所はここ)。

本堂・伽藍等江戸期のもので市、県の指定文化財になっていて、特に惣門が一番古いとのこと。しっとりした山寺のイイ雰囲気を醸し出しています。

参道は長く、六地蔵から始まって門に結界橋など本堂釈迦如来に見えるまでステージを進んでいきます。

 

旗指(はっさし)といえば鶴見氏の志戸呂城の陽動作戦(今川氏親による)をその地名の起こりと推察していますが、地元にはそれに加えもう一説あります。

こちら「旗指」には前述した氏親時代のあと今一度「旗指」が立った時期があったといいます。 

家康の対武田への陣が設けられたということですね。

国道1号線バイパスの走行中、北の谷山をチラ見すればこの静居寺をうかがうことができます。

お寺につながるバイパス下のトンネル手前に立てられた地元史家?による当地の解説掲示板によればこのバイパス上あたりに家康が居たことになります。