心地いい響き 嵯峨野清凉寺 秀頼首塚

四国に上陸した台風が勢力を落しながら日本海に出たあと熱帯低気圧の変わったものの嫌がらせのように日本列島から離れずに南の暖かい湿潤な空気を取り込みながら進路を東向きに変えて進んだおかげで台風が過ぎてもグズついた天気が続いています。一気に梅雨明け気分でしたが足をすくわれた格好となりました。ドカっと雨が降ったりやんだりで不快指数アップアップ。台風の雨を我慢した分お約束通り、スカッと行ってほしいものです。


そこでそんな時こそこんなお寺の名がありますよ、とご紹介しましょう。清凉寺という名前はいかにも清々しい。

しかし知る人ぞ知る浄土宗の古刹で親鸞さんの師匠、若き日の法然さんが入った寺です。当然現在は浄土宗

別名「嵯峨釈迦堂」で通じる通り、京都の嵯峨にあります。

足利義詮と楠木正行(まさつら)の墓がある宝筐院と目と鼻の先(場所はここ)。


浄土宗に改宗される前は華厳宗で東大寺系ですので、その古い歴史から国宝級文化財がオンパレードの寺でもあります。
その寺に足を踏み入れるのは・・・大坂で亡くなったはずの豊臣秀頼の墓があるのです。

大坂城天守の裏側の真下、今では訪れる人も僅か、人目につきにくいあの場所(山里曲輪)にあの碑はありましたが、こちらの彼の墓はいわゆる「首塚」。

こちらへその首が運ばれて塚に納められたといいます。


秀頼との縁は釈迦堂(本堂)が慶長七年(1602)に造営財寄進を受けていたためにこの寺への埋葬が決まったようですが、その前の大坂城三の丸発掘調査(昭和55年に発見された頭蓋骨)についてで出土した「斬首された首」が「秀頼の首である」と断じられたためです。ただし世の下す信憑性には疑問符付きですが。


詳細はその発掘調査の携わった木崎國嘉氏の「秀頼の首」(1982/11)という書籍を読めば大体の見当はつくはずですが、少々高い(中古で10000円)ため躊躇しているところです。


その三の丸で出土した頭蓋骨は

①介錯されている②右顎下に介錯の際の傷③20代前半の男

④庶民の生活観ではない⑤あまり運動していない

そして⑥左耳が不自由という医学的評価がありました。


それらから秀頼のものという考察がなされて、あの清凉寺に納められるという結果につながったのですが、真実はその骸骨のみが知り得ることですね。