大阪の中心にある住宅街の小山―真田丸の東西中腹の遺構について7/5心眼寺7/6三光神社と記しましたが、この二点の中間に広がる高台の削平地に上ると、一瞬間アメリカは、ワシントンD.C.のアーリントン国立墓地を彷彿とするような整然と並ぶ墓地群と遭遇します(場所はここ)。
「宰相山」とありますのでこちらが「真田山」とは別にそのように呼ばれていることがわかります。
この墓地は古く西南戦争から日清日露の戦争に参加して死した人たちの墓標が約4800基が並び、併設される納骨堂には遺骨約43000人分が納められているといいます。
本当にそのような数字に上るものなのか少々首を傾げたくなりますが、これは古い時代の戦争のこと、遺体の収容に関しては、「のんびり」できたということでしょうね。
そして日清・日露の戦没者の死は「脚気」等、非戦闘時の「戦死」が結構多かったといいます。ご存知そのあとの戦争によるその死は遺体はおろか遺骨の切れ端、髪の毛一本も帰還できない「戦死」はいうまでも無いこと。
祖父が骨壺に「石ころ1個」の葬儀の話をしていたことを思い出します。
一瞬のうちにそれも身体がただの「物」の如く「無痛」で「昇華」して「空気」と化してしまうような近代戦争ではもう何も残らないというのが実情でしょうね。
ただし、遺骨が残っていたとしても・・・ただの100年程度の時間の経過が仇をするのかここの無数の墓碑に訪れる人は今は殆ど無く、花一輪もその花入れに見ることはできない様子を見て、あらためてその死は「そんなもの」であることがわかります。
最初は国が面倒を見ていたそうですが、その手の墓地は日本全国にあって各自治体にその管理を投げてしまったという構図のようです。
今頃の季節だと草もボウボウになって誰も寄りつけない場所になっているような。
そういうことから上述、アーリントンとは似ていてもちょいと雰囲気は違いますね。荒れていて人気無しという感じは疎外感満点です。
こういう姿を見せられていると人々の宗教感覚は限りなくゼロになって「死んだら仕舞教」が蔓延するのでしょうね。
愧ずべし。
私は国が強権でもって戦争にとった人々の末路についてせめて掲示板等で記すなどして「懺悔の言葉」が欲しいと思った次第です。
花立に花の入らない墓碑ほど空しいものは無いものです。
たまたま訪れた私が少しばかりの悔恨の思いを抱くなど「どこか違うだろう」という思いです。→関連サイト。
それから7月7日のNHK Eテレ午後10時00分~午後10時45分
「上杉謙信」です。
「先人たちの底力 知恵泉 バラバラな組織をまとめるには?」
小和田先生解説があります(サイト)。
コメントをお書きください