遠方からのお客さんは御前崎灯台へ  遷れい塚

数日前までは今年も何とか「雨少なめの梅雨」を推測させる比較的まずまずの天候が続いていましたが、ここのところ一転、土砂降りの日が続きます。昨晩11時前には静岡地方竜巻注意報まで。相良は何事もなかったようでした。


この天候不良はすべて南にある2つの台風(9号10号)が日本列島に連なる前線にパワーを送り込んでいるせい。

11号も発生しつつありますのでもう無茶苦茶ですね。

このままだと来週末まで影響が出そうでやきもきさせられます。どうにもならないことに「心を動かされるな」といわれましょうが、法事(盂蘭盆会)主催者としてはみなさんに不自由をかけさせるということに余計恐縮することになりますし。

まあ何とかなってほしいですね。


この1週間、拙寺に私の古い知り合い、珍しい来訪者がたて続けにありました。

1人は町田ハンズ時代のフロアの先輩(神奈川葉山)、1人は沖縄時代の同僚(宝塚市)です。町田は27年前、沖縄は25年前の出来事でした。

二人とも懐かしい話が盛り上がって涙が出るほどバカっ話に花が咲きました。大きなインターバルがありましたが、一気にその時間が埋まった思いです。

私の忘れていたこともポロッと出て大いに「そういえばそうそう」と断片的な記憶を繋ぎ合わせながら感慨に耽りました。
お二人とも今後のおつきあいをより厚くしていただくよう約束をして別れました。


さて、日が高い間にお会いできて天気がいい場合、遠方からのお客さんを案内する場所といえば、御前崎灯台が無難です。

最近は海側の駐車場と登坂路が整備されて簡単に行くことができます。

一応は寂れていても観光地。冬でしたら晴れの日没は最高でしょう。思うに夏場だと太陽は陸の上に沈むと思います。

富士山が見られれば尚いいのですがその日は雲の中でした。


この灯台は私より上の年代の人ならば真っ先に思うのが、映画「喜びも悲しみも幾歳月(よろこびもかなしみもいくとしつき)」(木下惠介監督)でしょう。高峰秀子と佐田啓二です。

と言いながらも私が生れる以前の映画ですので知ったかぶりは禁物ですが、テレビでは何度か見ています。特に高峰秀子(デコちゃん)はNHKでたて続けに放映されていた成瀬巳喜男特集で見知ったのですが特に「放浪記」での印象が強いものがありました。

ハンズの先輩は、その映画に出ていた灯台であることを指摘していました。入場券200円を払って灯台に登りますが、その前に「喜びも悲しみも・・・」のかなり新しめの石碑がありました。

以前来た時はなかったので有志を募ったのでしょうね。裏面を見ると1000円の寄進で名が刻まれていましたのでもし、このことを知っていたら1つのったのですが・・・

久し振りに登った灯台はなかなかイイ景色でこんなに素晴らしいものか改めて感心した次第です。


灯台から一段下がった場所に「遷れい塚」(れいは「ヨの下大」)とよばれる塚が立っています。これは御前崎灯台の建設に功労のあった灯台役人を祀ったものだそうです。

祀られた人は「朝臣今武源高光」と公儀棟梁「村山源清弘」。

時代は明治六年6月」

基石正面に連なった名は

御前崎松林久佐エ門、相良増田銀蔵、上御崎山﨑円七、下御崎下村粂右エ門、二ツ家沢入惣三郎、沢入専三郎、女岩川口半次郎、広沢横山粂右エ門