人の考え方一様に非ず 2つのエピソード

「誇り高いギリシャ人にはこのようなことは耐えられない」とインタビューされるギリシャの人の談を聞きました。どういうシチュエーションかといえば、ATM現金自動支払機に行列し機械のお金が無くなって止まって年金を出せなくなった人のようでした。それも上限に規制がかかっていて日本円で8000円程度の引き出しの列だったそうです。

 

「誇り高い」のところは何を基準にしてその語が発せらたのか甚だ疑問ではありますが、当人が言っていることですし、普通ならニッコリ笑って讃えながら聞き流すところですね。

そしてその手の言葉はここ日本でも聞いています。

何か反意があって「少々感情的になっている」というところを表明する時などによく聞かされた「オレにもプライドがある」です。

 

これほどチンケな「仕事選び」のボヤキの発声は無いですね。

要は「そんな仕事やりたくない!!」といった心中を開けっぴろげたのですが、果たしてその「プライドって何?」と逆に問いたくなってしまいます。問えば気の毒になりますのでこれも聞き流しますが、もし突っ込んで聞き返せば説明不能になって「やりたくない」という「泣き」が入るのでしょう。

どちらにしろその台詞を吐かれたとしたら「ニヤっと」きますが・・・。

 

ギリシャの人の言った「誇りある」という超抽象的な語は勿論自らを賞賛し讃える言葉ですが私がよく聞いたことのある方(プライド)と同様で、法と伝統の中に「生かされている」ことを感謝して自己をみつめて懺悔することを教える「仏教」に関わって生きている人たちにとってはかなりの違和感がある文句でした。ぶっちやけて言えば「自分を褒めてどうするの?」です。

 

仏教発祥と同じくらいの大昔に大繁栄したギリシャ文明。

宗教ではなく「哲学」の方が耳に馴染んでいますが、難解そうで関わりたいとは思いません。知らないといった方が早いでしょうか。

ギリシャの誇りといえば真っ先に思い浮かぶのがソクラテス。ソクラテスは「知らない」ことを知っている人を賢者と言いそのことを知らない人を無知と言って、よって「私はそう(知らないことを知っている)だから賢者である」と言っちゃっているところがポイントですね。

ここの部分、仏教的な雰囲気が漂っていますが、本質的に違います。特に真宗では自らのことを「賢者である」とか他者のことを無知とかの断定はしませんね。

敢えて言えば殆どの人間が愚者であって自分もその中の一人であるということでしょう。

 

人のことを無知と言い放ち、「私は賢者」という発想は日本にはないですね。もしかして心中にその手の考えが多少芽生えたととしても日本では謙虚にして表には出さないものです。

どうやらそこのところが「誇り高き」ギリシャの伝統の感がありますね。

 

面白いな、と思ったところはそのソクラテスを揶揄するシーンが盛り込まれたギリシャのアリストパネス(喜劇作家)「雲」の一節です。

息子の借金を踏み倒すためにその親がソクラテスの元にその論法を学ぶために行かせるシーンがあるところ。

 

もしかしてその論法こそがあの国の大統領の処断でそれこそが誇りであって伝統なのかも知れません。

お金を借りて期限ぎりぎりになってから返せないとの喧嘩腰や「民主主義に対する挑戦」などという理解不能の台詞です。

 

軽々なことは言えませんが申し訳ありません、私のギリシャのイメージは「公務員天国」に「贅沢な暮らし」と「ローン好き」、そんなところでしょうか。

そういう偏屈なイメージしか持っていない私が決めつけてはいけませんが彼の主張はこんなところでしょうか。

「ドイツはじめEU先進国は金利を低めにして輸出でバンバン儲けて潤っている。その品物を買っているのはギリシャではないか。俺たちは被害者なのだ。」これが素人の今の欧州の騒ぎの構図。まぁカネの貸し借りは貸した方、借りた方ともに主張があって「どっちが悪い」というレベルではないですが。

とにかく大人の交渉が必要です。世界中がワリを喰っているようですね。

 

さて、昨日は当家「北の方御台所」が東都へ向かう日でした。

数か月前からこの日に観劇スケジュールを入れていて午前早めに、そそくさと出て行きました。

私が移動する時はいずれにせよ新幹線という選択はまずありませんが、まずはこの辺りの皆さんはバスにて静岡へ出てから新幹線、というのが常道。

 

送り出したあと、私は静波墓園へ。

草ボウボウの様子でもと、除草剤と噴霧器を持って向かって現地到着したころ、メールが。

「新富士宮で停まったきり微動だにしない、事件が起こっているよう・・・」と。

一通り仕事が終わって、榛原の蕎麦屋で朝昼兼用をいただいてから帰宅してテレビを点けて仰天しました。2時間以上経ってもまだ動いていないという情報も。

 

すでに観劇は不可能でチケットはキャンセル(叔母が直前に捌いたか・・・)。

そこで情報の少ない中、テレビを見ながらメールで画像キャプチャーを入れて中継するというのが私の仕事に。

よく知っている小田原の様子ですしね。相当のパニック振りがわかったのは救急対応の様子。あの辺りの消防は国府津ですが栢山という離れた地から来ている車両が目に入りました。

 

3時間「車両監禁」のあと三島で解放されて静岡に戻ってきたそうですが、その間色々な場面を目にしたと言っていました。

①新富士の駅に3時間停まっていて、一瞬ドアを開けたタイミン

 グはあったそうですが、以後ドアは閉めたまま。

 乗客のホームの「自動販売機に行きたい」というリクエスト

 も応じなかったそうです。

②携帯電話の充電器を持ってウロウロしている人がたくさん。

 みなさん情報が欲しくて、あるいは発信して電池が消耗してし 

 まったようです。そして

③ブチ切れして車掌に喰いつく乗客

④ひたすら謝罪に徹し頭をさげる車掌

⑤ふだんならおしゃべりしないお隣さんたちと共通話題で和気

 藹藹の時間

⑥静岡での乗車券返金の列が長蛇

⑦返金中にも返金率が変更になるドタバタ(結局静岡まで戻って

 100%の返金)

⑧今流行りのネットチケット予約(クレジットカード)の場合は  

 返金ができなかったようでそこでもドタバタ

⑨バス代往復の補償なし

⑩くたびれただけ

 

私は「人間」(人と人の間)に生かされている人はその手の突発的な理由で「支出」を強制されるもの。「税金」と思って呑み込むしかないでしょ・・・と。

箱根も小噴火とのことで私は家でじっとしていましょうか。

 

71歳の男性があの事件を起こすにあたってそれなりの事情というか複雑な思いがあったことは推測できますが、その人の暴挙によって死傷者が出ています。

 

亡くなった方の介抱する車掌さんの呼びかけの場面を拝見しましたが

①AED処置は併用したのでしょうか

②心肺蘇生は試みたのでしょうか

という疑問は残ります。

その辺りも伝えてくれないと本当の意味でのリスクの掘り起しになりません。

 

引火性の強いガソリンが使われたと思いますが、乗客の証言では「ピンク色の液体」といっていました。まず間違いないですね。

これも人によって色々、私にはスポーツドリンクの淡いオレンジ色に見えますが・・・改札通過時にそれを選別することは不可能ですね。

とにかく東海道はストップしたということで大混乱。

トータルの損失計算をしたら果たしていかほどになるのでしょうか。

本当はバス代と無駄な1日を付きあわせたということで日当計算してそれぞれがまとめて民事訴訟をおこすくらいでないと後発組、模倣犯が出てしまうかも。

泣き寝入りが一番ラクですがね。

まあ御当人は亡くなっていますし譬え財産があったとしても発生させた損失額には及ぶものではないでしょうが。

 

一歩譲って自死というものが「アリ」だとしたらせめて人様への配慮をしてくだされば・・・。それは同乗者異口同音の意見のようでした。「他所でやってくれ!!」。

弱い者が弱い者を引きづり混んでどうするの?

どうか強い者たちの集う場所にてお願いします。

 

画像は静波墓園の様子。思ったほど草は生えていませんでしたが、どうやらご近所様の剪定クズとゴミ捨て場になりつつあるようです。デカイ丸太が投げてありました。

3か月ぶりくらいでしたから致し方ないかも。

目立ったものは積み込みましたが・・・少々不満。